■圧巻の石垣!Let’s go甲府城!
舞鶴城とも呼ばれる“甲府城”。甲府にあることから武田信玄公のお城と勘違いする方もいますが、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命で建てられたといわれています。今回は、甲府城の一番の魅力である石垣にスポットをあてて取材しました。
◇「野面積(のづらづ)み」甲府城の石垣
県防災新館の地下1階にある「甲府城石垣展示室」を訪れました。入ってまず目に飛び込んでくるのは、横たわる胴木(どうぎ)と石垣。この胴木は、地盤をしっかり支える土台です。
この上に野面積みという手法で巨石が積まれています。石の形を生かしていて、ほぼ成形せずに積まれていますが、そこに収まることが決まっていたかのように、ピッタリ。隙間もきちんと埋められています。甲府城の石垣に使われている石は安山岩(あんざんがん)が多く、愛宕山(あたごやま)から採れたものだそうです。
◇「矢穴(やあな)」は石を割った証
場所を移動して甲府城へ来ました。石垣を築く過程では、巨大な石を割って加工することがあります。石を割った痕跡とされる矢穴は、加工された年代によって大きさが違います。矢穴の幅が広くなるほど、古いものだそうで、石を割る道具の進化によって変化しているそうです。
◇甲府城の石垣は記録保持者
“舞鶴城”と呼ばれる由来は、城内にある稲荷櫓(いなりやぐら)が特定の角度から見ると、鶴が羽を広げたように見えることからだそうです。太田町にある遊亀公園は、「鶴は千年、亀は万年」ということわざにちなんで、舞鶴城の対として呼ばれるようになったそうです。
甲府城の石垣は一番高いところで約17mあり、東日本最大級だそうです。また、甲府駅を走る電車の窓から見える石垣の横幅は、日本一長いそうです。
縦にも横にも、記録があるのですね。
◇今月の担当レポーター 野呂 貴美恵
東京方面から電車で甲府に帰ってくる際、駅に近づくと見える石垣。“帰ってきた”とホッとする景色です。甲府城で印象的な「野面積み」の
石垣。これまでの市民レポーターの取材では古墳、レンガ館と積み上げる観点から、つながりをもって学んできました。歴史はつながりですね。ぜひ皆さんも訪れてみてください。
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