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攻略 伊木山城

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岐阜県各務原市 ホームページ利用規約等

市の南東部、木曽川のほとりにあり、ハイキングコースとしても親しまれる伊木山。実は、戦国時代の城郭の遺構が残る「山城」であり、山頂には、「伊木山城」の6つの曲輪(くるわ)や石垣が確認されています。伊木山の知られざる歴史について学び、実際に現地を歩き、伊木山城を「攻略」してみませんか。

◆織田信長の美濃攻略戦
桶狭間の戦いで今川義元を打ち破った織田信長は、尾張から美濃への侵攻を目指しました。永禄6年(1563年)、信長は本拠地を清須から小牧に移し、永禄8年(1565年)、犬山城を攻略しました。
次に、信長は美濃攻略の足がかりとして、伊木山城を攻め取って砦(とりで)を築きました。この時に活躍した武将が、香川長兵衛です。香川は、伊木山攻めの功績により「伊木」の名を与えられ、「伊木清兵衛忠次」と名乗りました。
信長は、美濃の斎藤龍興方の鵜沼城、猿啄城(坂祝町)、加治田城(富加町)などの城を、次々と手中に収めました。永禄10年(1567年)8月には、稲葉山城(現・岐阜城)を攻略しました。

◆伊木山城の特徴
伊木山城は、平成12年と22年に発掘調査が行われており、伊木山城が6つの曲輪(城郭において人工的に造られた平地の区画)によって構成されていることが明らかになりました。また、曲輪の中央には櫓(やぐら)台状の高まりが確認できます。曲輪の北側には石垣が築かれており、土の層の状況から高さ2メートル以上の石垣であったことが考えられます。
さらに、石垣の裏には「裏込め石」と呼ばれる、小さな石が充填されていました。これには石垣内部の排水を円滑に行う役割があり、当時の先進的な技術が用いられた重要な城であったといえます。
この石垣には、美濃の斎藤氏が尾張からの敵の侵攻を防ぐために元々築いていたという説と、信長が伊木山を攻め取った後に築かせたものという説の2つがあります。

◆学芸員が解説 伊木山城を攻略
○実際に登ってみよう
山頂に着いたら、東、西、南の平坦な地面を見てください。それは戦国時代の人々が、地面を削ったり、盛り上げたりして作った曲輪です。さらに曲輪が崩れないように土留めの石垣が築かれていました。この曲輪に櫓のようなものを建て、敵を見張ったり、斜面を登ってくる敵を食い止めたりしたものと思われます。
また、曲輪から次の曲輪へは、大きく回り込まないと進めないようになっていました。これも敵の侵入を防ぐための工夫です。

○信長と同じ景色を望む
山頂から東に向かうと「キューピーの鼻」に行きつきます。ここからは、濃尾平野と木曽川、そして近隣の山城が一望できます。織田信長も作戦を練る際に見たであろう景色を、ぜひ味わってください。

○攻略の際の注意
・夏の伊木山は、ハチやマムシがいるため、十分に注意してください
・山頂までは、「伊木の森駐車場」から約20分です。水分補給など、十分に熱中症の対策をしてください
・「伊木の森駐車場」など、北側駐車場は、月曜日(祝日の場合は、その翌日)、休日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)は、使えません。西側の駐車場をご利用ください
・石垣は、遺跡保存のため埋め戻しています。無理に斜面に近づいたり、掘り返したりしないでください
※マップなどの詳細は本紙をご覧ください

◆企画展で、さらに詳しく
伊木清兵衛など各務原ゆかりの戦国武将と、各務原での合戦について、パネルで紹介します。合わせて、講演会も開催します。

○パネル展
期間:9月2日~10月1日 午前10時~午後5時(9月4・11・19・25・26日は休館)
場所:中央図書館3階展示室B(那加門前町3)

○講演会
期日・内容:
・9月2日(土)…「徳川大坂城東六甲採石場と伊木三十郎」竹村忠洋(芦屋市教育委員会)
・9月16日(土)…「旗本徳山秀現の戦国時代」入江康太(岐阜県歴史資料館)
時間:午後1時30分~3時
場所:中央図書館4階多目的ホール
定員:各150人(申込順)
費用:各300円
申込:8月4日午前9時~、「氏名、ふりがな、電話番号、参加日」を、【メール】rekisi@city.kakamigahara.gifu.jpまたは電話で、歴史民俗資料館【電話】058-383-1361

詳細:歴史民俗資料館
【電話】058-383-1361

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