■日本ライン下りの法被(はっぴ)
太平洋戦争前から行われていた日本ライン下りの船頭が着ていた法被です。
法被は丈(たけ)の短い上着で、えりの折り返しも紐(ひも)もなく、そでもつつのように単純な形をしています。江戸時代には、身分の低い武士や使用人などがよく着ていました。今では祭りの参加者や職人が着たり、消防団員の制服となっていたりするところもあります。えりから胸元(むなもと)にかけてたてに文字を入れて、着ている人の所属や名を表すこともあります。
日本ライン下りは、美濃太田付近から犬山城下までの十キロ余りの木曽川を小型船に乗って渓流の美しさを味わいながら下りました。
日本ライン下りは、昭和四十年代後半に最も盛んでしたが、徐々に利用者が減り、平成二十四年に運休しました。写真の法被は、平成十四年に事業から撤退(てったい)した名鉄郵船(めいてつゆうせん)のものです。
坂祝町では、平成八年から「ふるさと思い出づくり事業」として小学生がライン下りを体験しました。
※写真は本紙をご覧ください。
■移設のため休館していた坂祝町郷土資料館は、令和六年四月四日に小学校体育館一階に新しくオープンします。
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