■戦時下の運動会
1931年に始まった中国との戦争が続く中、41年に太平洋戦争が始まると国民の生活は次第に厳しくなりました。生活物資の配給制、金属類の供出、防空演習や勤労奉仕など物資・人員のすべてが戦争のために動員されたのです。尋常小学校も国民学校と名前が変わり、戦争に勝つための「少国民」を育てることが教育の目的になりました。勤労奉仕作業や体育錬成、国防訓練などが優先され、本来の授業ができなくなりました。
運動会の出し物も戦争に関わるものが増え、戦意を高めるものが中心になりました。高学年児童の「白虎隊(びゃっこたい)」は、主君に対する忠義・報国の精神を表す重要な出し物でした。
また、運動会には村の諸団体も参加しました。団体は男性の少なくなった農業を支える女性が多数を占めるようになっていました。
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