文字サイズ
自治体の皆さまへ

物知り先生のふるさと情報(三好学博士顕彰記)

30/40

岐阜県恵那市

■「孤高の植物学者」
第四話 自立への道
三宅勝義さん(東野)

三好学は、小学校卒業後に自立を目指し、教員養成学校に入学しました。

明治中頃、日本全国の就学率がぐんと伸びて次々と学校が新設されました。そのため、教員も必要とされ、深刻な教員不足となりました。牧野富太郎も、2年間ほど地元の小学校で教員をしていました。
当時、三好学がいた福井県では、教員を確保するために次のような制度ができました。

これは、自立を望む学にとっては願ってもない制度でした。誰の世話にもならず、卒業後の仕事まで保証されるのです。伯父の性善(せいぜん)も学の将来を思って賛成しました。
しかし、学の心の奥には「佐藤一斎先生のような立派な儒学者になる」という夢が強くあり、卒業後に教員になる義務が、いつも心の重荷になっていました。
教員養成学校へ進学した学は、好きな文学に没頭し、漢詩を次々と生み出します。趣味を同じくする者たちと同人会をつくり、冊子を編集するなど、文学の才能が大きく花開きました。
時が経って卒業を間近に控えた学は、避けられない運命から逃れるように、卒業後、一時行方不明になっていました。しかし、家族のこともあり、そうそう勝手ができず、あきらめて教員になったのです。それでもお願いをして、福井県ではなく郷里の岐阜県で教員にしてもらいました。赴任校は、現在の瑞浪市立土岐小学校です。ここで2年と少しの間校長として教育に携わりました。
瑞浪市立土岐小学校の校長室には歴代の校長の顔写真が壁に並んでいます。初代校長には、立派な髭を蓄えた学がいます。十代でこんなに立派な髭が生えるのかと少々疑問ですが、本当に立派な髭です。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU