■恵那にあった民有鉄道
その一 岩村電車
西部良治(りょうじ)さん
明治時代後半から昭和10年代初めまで、恵那には二つの民間の鉄道がありました。一つ目は、大井から岩村まで走っていた岩村電車。二つ目は、非常に短期間の営業でしたが、新大井駅から恵那峡まで通じていた北恵那鉄道大井線です。
それでは、今月号は岩村電車の話をしましょう。
次の写真を見てください。シルクハットをかぶった紳士や、制服を着た車掌、乗客の姿が見え、行き先には「大井行」と表示されています。これが明治39年に県内で初めて開通した岩村電車です。岩村から約1時間かけて、今の恵那駅(当時は中央線大井駅)まで通じていました。
岩村電車を創設したのは、岩村の庄屋出身の浅見與一右衛門(よいちえもん)です。與一右衛門は、幕藩時代に東濃で最もにぎわっていた岩村が、時代の変化と共に取り残されてしまうことを心配していました。そこで、その打開策として、岩村から大井へ鉄道を開設することを思い立ちます。鉄道があれば、旅客の利用はもちろん、恵南地区から岩村に集積される物資を大井まで運ぶことができ、さらに中央線で各方面にも運ぶことができます。これを実現するために、與一右衛門は資金を調達し、明治36年に岩村電気軌道を設立します。山間の渓谷を切り開く大がかりな工事や、度重なる資金難を乗り越え、3年後の明治39年、ついに全線を開通させました。
※写真は、本紙をご覧ください。
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