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物知り先生のふるさと情報(三好学博士顕彰記)

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岐阜県恵那市

■「孤高の植物学者」
第十二話 その支えた人たち
三宅勝義さん(東野)

偉業を成し遂げるには陰で支えた人が必ずいて、関わった人たちの支援が必ずあります。
牧野富太郎は、窮地に立つと、いつもタイミングよく理解者が現れて救われてきましたが、何と言っても一番の理解者は妻でした。妻の壽恵子(すえこ)は、富太郎のことを「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」と諦めつつも、子どもを13人も産み、ぎりぎりまで節約して家計を切り盛りしました。
「長年の間、妻に一枚の好い着物を作ってやるでなく、芝居のような女の好く娯楽は勿論何一つ与えてやったこともないくらいであったが、この間妻は嫌な顔一つせず、一言も不平を言わず、自分は古いつぎはぎだらけの着物を着ながら、逆に私たちの面倒を見ながら、陰になり日向になって見ていてくれ、貞淑に私を支えてくれていたのです」
と、さすがの富太郎も妻には感謝をしていました。その思いは新種の笹に「スエコ笹」と命名したところにもうかがえます。
一方、三好学は父が急死してから岩村の叔父や福井の西光寺の伯父、東京の中嶋家の伯母など、親戚の人たちに多く世話になりました。実直に感謝を言葉で伝える技量は、富太郎に負けます。しかし、最後まで一人身だった東京の伯母には、多額の借金をしてまでお墓を建ててあげました。感謝の念は富太郎に負けていません…。
この一年、朝ドラで時の人であった牧野富太郎と比べながら、あるいはつなげながら、三好学を描いてきました。いつの日か、郷土の偉人「三好学博士」がもっと大きく取り上げられ、その足跡が多くの人を導いてくれることを願っています。
(三好学博士顕彰記連載終わり)

※今回で連載は最終回です。ありがとうございました。

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