■町技ソフトボールの制定からこれまで
○町で初めてのソフトボール大会
白川町でソフトボール大会が初めて開催されたのは、昭和40年のことで、14の自治協議会を代表する24チームの選手が参加しました。2日間にわたる熱戦の結果、チームワークのよさと実力を見せた上佐見自治協議会が優勝を果たしました。それから大会は毎年のように開催され、ソフトボールが町民に親しまれるようになりました。
○白川町で初めての公式スポーツ大会
昭和48年には第17回中日本総合ソフトボール大会が白川町で開催され、有名企業などに所属する一流選手を擁する中部8県の代表チームが出場しました。白川町からも開催地の特典として一般男子と一般女子のチームが出場し、一般男子チーム「白川クラブ」が堂々三位の成績を収めました。県の代表が集まるような公式のスポーツ大会が白川町で開催されることは、これが初めてのことで、町内の清掃や装飾、駐車場の提供など、町民の理解と協力によるボランティアの精神で、白川町が一丸となって大会の開催をサポートしました。
○町技としてのソフトボール
その後ソフトボールは町民により親しまれるようになり、昭和50年の東海大会で蘇原地域を中心に編成されたママさんチームが優勝を成し遂げました。そして昭和52年にはソフトボール協会が結成されました。そして同年に行われた町民大会には、100チームが参加したこともあり、協会の会長も務めた当時の今井廣嗣町長が「ソフトボールを町技に」と提唱して、翌年の昭和53年にソフトボールが白川町の町技として制定されました。
○現在のソフトボール
白川町のソフトボールチームは、全国大会などで成績を残しおり、今年も赤とんぼスポーツ少年団が昭和49年のチーム結成以来35回目となる全国大会への出場を果たしたほか、白川中学校の生徒7人が所属する岐阜DREAM BLAZEが中日本総合女子ソフトボール選手権大会で準優勝を成し遂げました。10月22日には、今年で第17回目となる町民ソフトボール大会が開催され、各地区から8チームが白熱の試合を繰り広げました。
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