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(町史を読む)

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岐阜県白川町

西白川町から白川町合併前の名称変更
今回は『白川町誌現代版』から、白川町の成り立ちを読み解いていきます。

●「大西白川町」を築きたい!
当時、西白川村は県が示した「町となるべき要件」を満たしていました。また、国では町村合併促進法の制定が予定されている中、西白川村は近隣の農村と合併することで町となるべき要件を満たさなくなる可能性があったため、「すぐにでも町制施行を」という気運が高まっていました。
そんな中、当時の新田亀三村長は村内全戸に「加茂郡東部地域の中核となる大西白川町を築きたい」という啓発文書を配布して住民の理解を求め、昭和28年2月の村議会で議決を得て、岐阜県知事に町制施行の申請書を提出しました。

●西白川村から西白川町へ、そして
町制施行に併せ、自治体名も西白川町よりも「白川町」がよいということになり、村長は各区長から同意書を得ました。
そして町制施行と併せて、名称変更を申請して知事の許可を得ました。このため、「西白川村」は同年の4月1日に「西白川町」となり、そして同日付けで「白川町」と名称を変更することになりました。

●町制施行の祝賀会が開催
同年5月には、町制が施行されたことを町民を挙げて祝う祝賀行事が行われ、その3日間は町民の休日とされました。1日目は盛大な祝賀行事が、2日目には物故者や戦没者の慰霊祭が行われました。
そして最終日の3日目には、町民も参加した体育大会や仮装行列競演会、白川口観光写真大会などが盛大に開催されました。そしてその後、坂ノ東村をはじめ4つの村を合併して、昭和31年9月30日に現在の白川町がはじまりました。

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