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みのかもの山、望む山 第3回

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岐阜県美濃加茂市

この地域にあって身近に親しまれている山や、はるかに望む山々について、まつわる歴史や文化を紹介します。

■恵那山(えなさん)
標高:2191М
美濃加茂市各所から遠く東方に見える、舟を逆さにしたような台形の大きな山。恵那山は中津川市(岐阜県)と阿智村(長野県)の境にまたがる美濃地方の最高峰です。その山容は古くから人々に親しまれ、「船状山(ふなふせやま)」、「横長嶽(よこながだけ)」などとさまざまな名称で呼ばれてきました。
日本最古の歴史書『古事記』にも登場するこの山は信仰の対象であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)の胞衣(えな)(へその緒や胎盤などのこと)を埋めた地という伝承から、時に「胞衣山(えなさん)」とも表されます。山頂には恵那神社の奥宮本社があり、明治・大正時代にかけては修験者に限らず庶民層も白装束をまとい、山に登って参拝しました。参詣者は近くの街道を通って各地から訪れたのでしょう。麓には中山道の中津川宿・落合宿などの旅籠(はたご)が栄え、太田をはじめ美濃の人々にとってここは信濃の善光寺や遠く江戸方面に向かう際の要衝でもありました。当時の様子を描いた浮世絵や絵図にどっしり安定感のある恵那山の姿がよく登場することからも、この山は道行く人々の目指す道標であり、心の拠り所だったのでしょう。
恵那山地はまた豊かな森林として知られ、江戸時代には北麓の湯舟沢(ゆぶねざわ)を中心に多くの木材が産出されます。それは落合川などを通して木曽川に流され、各所にある綱場(つなば)を経由しながら下流へと運ばれました。また恵那の良質な木材は伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)の建材に使用されたこともあったようです。
恵那山やその一帯は街道や河川を介して各地との文化の交流がありました。はるか遠く望める山々でも、その一つ一つがあらゆる道すじを通して、私たちと確かなつながりを持っているのかもしれません。

▽参考文献
・『中津川市史中巻II(中津川市編:1988年)』

問合せ:文化の森
【電話】28-1110

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