■連合婦人会の結成とその活動
終戦後、町村では婦人会が続々と再結成され、徐々にその活気を取り戻していきます。昭和29年7月には、市制施行に伴い、団体の結束と連携を目指して市連合婦人会が誕生。その機関誌『いそしみ』からは、地域に根ざした特色のある活動とともに、連合としての動きを垣間見ることができます。
昭和33年2月、初めての試みとして太田公民館で開催された「生活展」は、婦人会同士の交流が生まれる格好の機会となり、会員からの衣食住にまつわる趣向を凝らした作品が集結しました。伊深町からは臈纈(ろうけつ)染めのネクタイ、古井町からは6千本もの紙撚(こよ)りによるモザイク壁画など、490点を数える作品はどれも変化に富み、工夫が溢れたものでした。来場者は1300人にも上る盛況ぶりだったようで、この展示が刺激となり、得られた知恵や技術が日々の生活の豊かさに還元されていったことでしょう。
一方で市の政策に関わることもありました。衛生環境を改善する目的で、県から「蚊とハエのいない運動」のモデル地区に指定された太田町と古井町では、婦人会を中心に下水溝など害虫発生源の清掃や、映画による衛生思想を普及する活動が推進されます。また昭和30年6月、市の民生課主導によって市全域で行われたネズミや害虫の一斉駆除では、配付された「猫いらず」などの薬剤をもとに婦人会員が「毒団子」づくりに精を出す光景も見られました。
その後も婦人会は、市美術展への協力や昭和40年の国民体育大会における給仕活動、災害時の救護援助など、市や地域の生活・行政のさまざまな出来事を支えました。時には主役として行政へ意見したり、文化やスポーツを楽しんだりと、主張とつながりの場として在り続けました。そんな連合婦人会は、時代の流れとともに平成8年に休会となりました。
◆[Pick Up]「まちの営みの場としての公民館」
婦人会や青年団の動きが活発になる中で、その拠点としての公民館建設の機運が各地で高まり、昭和29年に美濃加茂市公民館条例が制定されました。市制施行後初の建設となった牧野公民館では、昭和30年4月の竣工式で伝統芸能である獅子芝居が上演され、その完成が盛大に祝われました。これを皮切りとして古井、加茂野駅前など多彩な行事に対応できるさまざまな設備が整えられた公民館が誕生し、人々に密着したまちの中核として利用されていきました。
問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
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