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未来に繋(つな)ぐ みのかもの70年 第2回

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岐阜県美濃加茂市

■紆余(うよ)曲折のあった「美濃加茂市」の誕生
昭和28(1953)年、町村合併促進法の施行に伴い、岐阜県加茂地方事務所は、加茂郡の10カ町村(太田、古井、山之上、蜂屋、加茂野、坂祝、富田、伊深、加治田、下米田)の合併案を提案しました。それに対して、富田村と加治田村が2村による合併を目指すことになり、坂祝村は態度を保留しました。一方、上米田村、三和村、和知村(牧野区)が新たに参加の意を示し、昭和29年3月2日の加茂郡西部町村合併促進協議会で、坂祝村を除いた10カ町村の骨組みが決まりました。
また新市の名称については、それまで加茂郡の「加茂市」を仮称として準備が進められていましたが、新潟県の加茂町が他の村を編入し、一足先に「加茂市」になることが分かりました。そのため急きょ協議がされ、当初「美濃太田市」の案が出たものの合意できず、「美濃加茂市」として落ち着き、同協議会で新市名も決定しました。
三和村の合併の経緯については、村議会資料のほか「三和村町村合併促進委員会記録」に生々しく記されています。昭和29年2月の19日、25日、27日と立て続けに3回開かれた委員会は紛糾。最終的に鹿塩区が川辺町と合併、廿(つづ)屋区が「加茂市」への合併を決定しますが、川浦区は27日夜まで意見がまとまらなかったようです。しかし、3月2日に開催された三和村臨時議会で、廿屋・川浦両区の「美濃加茂市」への合併が決まりました。
なお、3月の協議会に参加していた上米田村はその後川辺町との合併を目指すことになりました。

◆Pick Up「伊深の中山道武者行列」
市制施行の祝賀式典が1954年5月5日に太田小学校講堂で盛大に行われました。新市内では4日間にわたり多彩な祝賀行事が繰り広げられ、合併する町や村ではそれぞれ工夫を凝らした出し物で盛り上がりました。旧伊深村では正眼寺に保管してあった旧佐藤家の甲冑を若者が身に着け、大人は裃(かみしも)をまとい、太田・中山道で武者行列を行いました。「これハ 伊深のさとより いでたる よろひ武者にて候…」との口上(挨拶(あいさつ))が述べられました。

問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110

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