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未来に繋(つな)ぐ みのかもの70年 第4回

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岐阜県美濃加茂市

■市民融和の盆踊り
昭和29(1954)年に発行された、合併時の広報紙『広報美濃加茂市(昭和29年8月1日号)』では、「向後(こうご)市民各位の協和團(だん)結と理解ある御協力により一日も早く理想都市の建設を念願致すものであります。」と、市民が団結し、融和していく重要性が、初代市長の渡辺栄一(わたなべえいいち)市長により示されました。
同年8月1日には、合併記念として花火大会を中心とした「ライン川祭り」を開催し、昭和30(1955)年2月には、美濃加茂市美術展や美濃加茂市青年演劇大会など、市民が集まって活動する文化催事が多く企画されます。そして同年8月に、新たな市の象徴として「日本ライン音頭」と「美濃加茂音頭」が、新聞社の協力を得て新たに制定されました。
「日本ライン音頭」の「木曽と飛騨との流れが合うておうた二人へ舟が待つ」とうたわれる作詞は、福田克彦(ふくたかつひこ)さんによるもので、振り付けは島田豊年(しまだほうねん)さん、唄は当時著名な歌手・小畑実(おばたみのる)さんでした。そして「美濃加茂音頭」の歌詞には「青柳橋」「御殿(山)」「正眼寺」といった名所のほか、「牛乳」「柿」「ぶどう」といった当時の名産品の名も並んでいます。
その年の8月23日と24日は、これまでどおり旧町村各地で盆踊りが行われ、翌25日は現在の市役所前の「新国道」を会場に、新市全体での盆踊りが初めて開催されてにぎわいました。
渡辺市長は自身の著書(『住宅と私』渡辺栄一著・1987年)で、当時の思いを次のように記しています。
「市は形式上誕生してはみたものの心が一つになるというには時間がかかると思った。(略)
私自身が旧八町村の会場を回って、率先して踊り回った。私は、こうした踊りは最もニガ手だったが、統一と団結を合言葉に必死の形相で、ガンバリ通した。市長がヘタな踊りをやったと評判になって、親近感が生まれたことも事実のようだ。」

◆[Pick Up]数百発の打ち上げ花火
美濃加茂市合併の年の夏に開催された市制施行記念「ライン川祭り」の案内です。川祭りは太田の木曽川河畔で合併前から行われていた恒例行事だったようですが、祝賀の喜びを込め、美濃加茂市観光協会の主催で初めて市全体の催事として華々しく行われました。打ち上げられた花火は数百発、仕掛け花火も数台あったようです。
午後9時30分に終了し、多くの来場者のために国鉄の列車や市外各地へのバスが大増発された模様です。

問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110

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