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未来に繋(つな)ぐ みのかもの70年 第5回

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岐阜県美濃加茂市

◆みんなのバス 昭和33年三和町・廿屋へ
現在美濃加茂市内にはコミュニティバス(あい愛バス)の路線が張り巡らされ住民の交通手段として広く利用されていますが、かつては民間のバス路線が市内外の各地を結んでいました。特に昭和30年前後、市合併のころには多くの路線が開設されていきました。
このうち三和町の廿屋(つづや)地区では、関駅方面を往復する岐阜乗合バス(岐阜バス)が1958(昭和33)年2月27日に運行を開始。廿屋地区の住民にとっては太田方面より関・富加方面が身近な生活圏であったため、人の行き来も川浦川下流である西方面が中心でした。関へのバスダイヤは1日10本ほどで、朝晩は30分に1本の便があったそうです。
バスの車両は、運転席前のフロント部にエンジンを載せるボンネットタイプでした。路線の一部は、上廿屋まで延び、一部は伊深の大洞地区経由の運行もあったようです。朝晩は三和小学校や関方面の高校などの通学に使う子どもたちや、関市周辺で働く通勤客でにぎわいました。
バス路線の開設については、廿屋地区の記録「バス開通費取調帳」などが残っており、当時の様子を知ることができます。それによると、廿屋で最終便の運行を終え翌朝の始発に備えるバスの車庫と乗務員(運転手、車掌)の宿舎を地区で土地を提供して用意したことや乗務員の風呂は近くの民家が提供したということが分かります。
また、廿屋地区は、バスの安全確保のために道路の拡幅工事を必要とする場所が何カ所もあったことが地図に示されており、地域を挙げての「道普請(みちぶしん)」が行われ、住民が共同奉仕でその改修作業にあたったとされています。舗装されていない道をバスが通るたび大きな土ぼこりが舞うのが日常の光景でした。

◆Pick Up「待望の名古屋直通バス」
市内路線バスの充実とともに、市民の熱望であった名古屋への直通バスが1960(昭和35)年に開設されました。
左の写真は10月1日、美濃太田駅前で行われたテープカットの風景で、飾り立てられたバスや乗務員の姿が写っています。岐阜乗合と名鉄の合同でバスは運行され、美濃太田駅前岐阜乗合事務所前から名古屋駅間を1日12往復しました。午前6時36分を始発とし、以後毎時40分に発車、午後5時40分が最終のバスでした。
※詳しくは本紙をご覧ください。

問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110

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