■70年のあゆみ
◇養老町誕生~町制施行60周年
1954年(昭和29年) 11月・養老町誕生
1955年(昭和30年) 2月・広報「養老」創刊号発刊(写真1)
1959年(昭和34年) 8月・集中豪雨と伊勢湾台風により牧田川右岸堤が根古地内で2度決壊(写真2)
1965年(昭和40年) 9月・町中央公民館完成
1971年(昭和46年) 4月・町役場の新庁舎完成
1973年(昭和48年) 3月・町民憲章制定
1976年(昭和51年) 4月・町の人口が3万人突破
1982年(昭和57年) 7月・町総合体育館完成
1985年(昭和60年) 3月・養老の滝・菊水泉が名水百選に選定
1988年(昭和63年) 4月・世界れんげ祭養老大会開催(写真3)
1990年(平成2年) 4月・養老の滝が日本の滝百選に選定
1991年(平成3年)
1月・町のイメージマーク「スマイルげんちゃん」に決定
8月・ドイツのバートゾーデン市とスポーツ文化友好親善調印
1995年(平成7年) 10月・養老公園に養老天命反転地開園
1996年(平成8年) 7月・象鼻山1号古墳調査で前方後方墳が全国最古級(3世紀後期)と判明(写真4)
2000年(平成12年)
9月・「人権擁護の町」を宣言
11月・「親と子 愛の詩」を発表(写真5)
2004年(平成16年) 2月・ドイツのバートゾーデン市と友好都市提携調印
2009年(平成21年)
1月・養老ドリームパーク(南濃清掃センター)完成
9月・伊勢湾台風50年県防災フォーラム開催
2011年(平成23年) 4月・第5次総合計画「絆プラン」スタート
2012年(平成24年)
6月・11月17日を「養老の日」と制定(写真6)
9月・東海環状自動車道大垣西IC〜養老JCT開通・ぎふ清流国体軟式野球・サッカー競技大会開催
2013年(平成25年)11月・オンデマンドバス本運行開始(写真7)
2014年(平成26年)11月・町制施行60周年記念式典挙行
◇町制施行60周年~
2015年(平成27年)
3月・町消防本部高機能消防司令センター運用開始
4月・養老町初の地域自治町民会議設立
2016年(平成28年) 3月・養老町特産ブランド認証開始(写真8)
2017年(平成29年)
3月・養老改元1300年祭開幕
5月・全日本愛瓢会展示会開催 秋篠宮殿下来町
10月・腕組み乾杯ギネス世界記録達成・東海環状自動車道養老JCT〜養老IC開通(写真9)・養老改元フェスタ開催
11月・まるごと肉まつり養老初開催
12月・子ども議会初開催・養老改元1300年祭閉幕・ふるさと納税寄付金額1億円突破
2018年(平成30年) 6月・名神高速道路養老SAスマートIC開通(写真10)
2020年(令和2年) 2月・新型コロナウイルス感染症対策本部設置
2021年(令和3年)
2月・養老町まちづくりビジョン策定・小・中学校へのタブレット端末の導入(写真11)
4月・子どもの医療費の無償化を18歳まで拡充
10月・スマホアプリ「養老Pay」運用開始(写真12)
12月・ふるさと納税寄付金額10億円突破
2022年(令和4年)
3月・大巻地内に防災ステーション完成(写真13)
4月・養老駅観光インフォメーション開設(写真14)
9月・テレワーク施設「YOROffice」開設(写真15)・養老公園観光拠点整備プロジェクト(ヨロラボ)発足(写真16)
2023年(令和5年)
1月・町公式ファンクラブ「YORO SUPPORTER WORLD」設立(写真17)
2月・南濃衛生施設利用事務組合 新衛生センター完成(写真18)
5月・新型コロナウイルス感染症 感染症法上の取り扱いが5類へ移行・SDGsマルシェ初開催
2024年(令和6年)
3月・養老町制施行70周年記念ロゴマーク決定
4月・養老町制施行70周年記念 春の全国交通安全運動and防災フェア開催(写真19)
6月・養老町学校のあり方検討委員会設置
9月・養老町制施行70周年記念 軽トラSDGsマルシェ初開催・子ども未来シンポジウム開催
10月・養老町制施行70周年記念 第39回国民文化祭 第24回全国障害者芸術・文化祭「清流の国ぎふ」文化祭2024 養老フェスタ2024開催
11月・町制施行70周年記念式典挙行
※写真は本紙またはPDF版をご覧下さい。
■養老町制施行70周年を記念して
私たちの養老町は、1954年(昭和29年)11月3日に県下最大の「町」として発足しました。
自然環境に恵まれた美しいまちであり、南北に揖斐川、東西に牧田川が流れ、養老山地を背景に豊かな田園地帯が広がっています。一方、昭和34年の集中豪雨や伊勢湾台風による二度の大水害をはじめ、これまで幾多の「水との闘い」を繰り返してきた輪中地帯でもあり、古くからの治水対策の積み重ねの中で、これを克服してきました。
70年のあゆみとして年表にも示されていますが、昭和40年代からは、明るいまち、住みよいまちを目指して、様々な公共工事を進め、着々と公共施設を整備し、昭和51年には町人口が3万人を超えました。町民の心を磨く運動として昭和48年に制定した養老町民憲章は、今では町民の大半が暗唱できるまでに深く浸透しています。
産業面では、稲作や畜産に加えて、名古屋市や岐阜市に近く、西濃地方の中核都市である大垣市にも隣接していることから、商工業や観光産業などの分野でも、中京経済圏とともに発展を続けてきました。また、その中でも食肉事業は、本町の明るい未来の創造に欠かせない産業へと成長しました。
この10年を振り返ってみましても、東海環状自動車道養老ICと名神高速道路養老SAスマートICが開通し、養老町と中京経済圏の距離はさらに縮まり、産業の飛躍的な発展が見込めるようになりました。大型の企業誘致にも繋がっており、西回りの県境間が開通すれば、さらに県内外から注目を集めるエリアへと変貌を遂げていくことでしょう。また、養老SAスマートICの周辺でも民間主導型の工業団地が進出し、今後、一層の産業の集積が進むことが期待されます。
こうして大きな節目を迎えた養老町が、これから多様化する課題に的確に対応し、持続可能な地域社会を形成していくためには、恵まれた交通利便性を活かした生活基盤の充実を図り、次世代につながるひと・まち・産業を育むまちづくりが必要です。今後とも、町民の皆さまとの協働によるまちづくり、人づくりを推し進めるため、的確な情報発信に努め、問題意識を共有しながら、未来に向けての歩みを進めていきます。そして、10年先、20年先、30年先においても、町民としての「シビックプライド」を一人ひとりにお持ちいただき、養老町のさらなる発展を目指して、共に邁進していく所存です。
養老町長 川地 憲元
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