■平和を語り継ぐために
◇命と平和
自分の、そして、他者の“命”を大切にすること。それは人権の中で最も基本的で重要なことです。だからこそ、一瞬で大勢の命を奪う原子爆弾や命をないがしろにする戦争について、私たちは決して容認したり、忘れたりしてはいけません。私たちは、平和について思いを巡らせることをやめてはいけないのだと思います。
2025年は太平洋戦争終戦から80年の節目の年を迎えます。9割近くが戦争を知らない世代になり、戦争を経験した人から直接話を聞く機会はなくなりつつあります。
「戦争はいけない」「平和は大切である」ということは、誰もが分かっているはずです。しかし、平和であることが日常となることで、関心が知らず知らずに薄れ、いつしか自分事として捉えられなくなってしまっているのかもしれません。人を大切にすることの最も根本である“命”を大切にするための“平和”について、自分事として考え続けていくために、私たちには何ができるのでしょうか。
◇ボランティアをする小学生
広島平和記念公園には、周辺にある碑について説明してくださるボランティアガイドがいます。その中に小学生がいることを、皆さまはご存じでしょうか。その少年は、平和記念公園を訪れる様々な人に対して、他のボランティアガイドと同様に平和への思いを語っています。
あるアメリカ人の男性が、この少年と出会いました。その男性は、「広島の人々は、今でも原爆を落としたアメリカを憎んでいるはず」という思いをもち、平和記念公園を訪れたそうです。しかし、この少年の言葉を聞いてはっとさせられます。ガイドとして碑の説明をしながら、少年は語ります。「広島の人々は憎むという選択をしていません。その代わり、二度と同じ過ちを繰り返さないように平和の大切さを世界中に伝えることを選びました。」と。その言葉には、戦争の悲惨さだけでなく、平和の尊さ、命の大切さ、そして未来をつくっていく希望が込められていました。男性は、少年の言葉を聞き、胸を打たれ、涙を流しました。聞く人の感情を揺さぶる言葉の背景にあったのは、少年が祖父から聞いた被爆者である曾祖母の「戦争が終わった後、広島の人々は必死に町を復興させた。その時に大切にしたのは復讐ではなく和解だった。広島の人々は憎しみの連鎖を断ち切ることを選んだからこそ、この街は平和のシンボルになる」という脈々と受け継がれる平和への願いでした。少年は、直接曾祖母から戦争の話を聞いたわけではありませんが、この願いは確かに継承され、平和を語り継ぐ大きな原動力になっているのだと感じます。
◇心を耕すための“気付き”
高齢化が進む中で、戦争を語り継ぐべき歴史や文化、願いの継承が難しくなってきています。その背景には、先述のように、「自分には関係ない」という思いが隠れているのではないでしょうか。ともすると、いくら記録や実物が残っていても“形”だけになってしまうと、ボランティアガイドをしている少年のように、語り継ぐまでには至りません。本当に重要なのは、願いを受け継ぐ“心の土壌”なのだと思います。心の土壌を耕すには、そこに息づく人々の思いに触れることが何よりの近道であることは言うまでもありません。
しかし、誰もが現地へと赴き、そこにいる人々の思いに触れることは現実的に難しいことです。それが、遠方、または外国ともなればなおさらです。では、私たちは一体どうすればよいのでしょうか。
私は、命を大切にすることと同じように、相手を大切にすることに一つのヒントがあるのではないかと考えています。私たちは、相手の立場に立って物事を考え、相手の思いや痛みを感じ取ろうとするからこそ、相手を思いやった行動ができます。この相手の立場に立って相手のことを分かろうと思いを巡らせることこそ、自分事として物事を考える第一歩なのだと思います。
目の前の大切な人のことに思いを巡らせ、心を尽くす。一見遠回りのようにも感じますが、その積み重ねの先にこそ、平和は創られるのだと私は信じています。
ぜひ、皆さまにもこの節目に、平和について考えていただけたら幸いです。
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