◆直家の城~野望編~
前回に引き続き直家の城を紹介します。若き武将宇喜多直家は、戦功を重ねて出世します。飛躍できたのは、直家が頭脳明晰(めいせき)であったことに加え、直家と苦楽をともにし、固い絆で結ばれた家臣団の存在があってこそでした。そして直家は織田信長と同様、将来を見越して有利な場所へと次々に拠点を移し、智略と合理性で戦国大名への階段を上っていったのです。
◇亀山城(沼城)
亀山城は直家の3番目の城です。岡山城に移るまでの十数年間にわたり在城し、直家の活躍の拠点といえます。城は東区沼に位置し、東西に並ぶ低い丘陵を利用して築かれました。近世城郭のような石垣は認められませんが、丘陵全体に曲輪(くるわ)を築き、強固に武装されています。“沼城”とも呼ばれているように、周囲は湿地に囲まれており、天然の堀によって守られていました。
特筆すべきは、亀山城のすぐ北側に山陽道が通っていたことです。直家が亀山城に拠点を移した理由の一つに、陸路の掌握があったと考えられます。江戸時代には、全国各地の街道が整備されていきますが、直家はそれを先取りしていたといえます。
◇岡山城
“岡山城”といえば高石垣に囲まれ、漆黒の天守がそびえ、太閤秀吉由来の金箔瓦を葺いているイメージを持たれる方も多いと思います。それは直家の子、秀家が築いた岡山城です。
直家が築いた岡山城は、岡山や石山の丘陵を加工した、いわば土の城郭だったことが明らかになっています。直家が築いた岡山城の遺構は現在の岡山城の下に埋没しているため見ることはできませんが、城の周辺に城下町を整備していたことからも、現在の岡山市街地が直家の岡山城に起源があることは間違いありません。直家は岡山の父であるといえるのではないでしょうか。
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