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津山の歴史 あ・ら・か・る・と

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岡山県津山市

■津田真道の死刑廃止論~『明六雑誌』より
日本初の学術団体「明六社(めいろくしゃ)」の結成メンバーの一人で津山出身の法学者 津田真道(つだまみち)は、明六社が43号まで発行した学術雑誌『明六雑誌』に24もの論文を投稿しています。文明開化の方法や出版の自由、政治制度を論じたもの、迷信や怪異現象を科学的・合理的に説明するもの、儒学で否定的に考えられていた欲望を社会進歩の促進要因として肯定的に捉え直したもの、男女同権のあり方について述べたものなど、内容は非常に多岐にわたります。ここでは、明治8年(1875)8月発行の第41号に掲載された「死刑論」を紹介します。
彼はまず、死刑は刑ではないと断言します。そもそも刑罰とは、人の罪悪を懲らしめるものであり、その目的は罪を悔い改めさせて更生・復帰させることであって、人命を奪う死刑は、仮に本人が悔い改めていたとしても、良い行いを積み重ねて世間に復帰させることができないため、刑ではなく、正しい道にかなった制度とは言えないというのです。
死刑の是非を論じる際によくいわれるのが、殺人などの凶悪な罪を犯した者は、その報いとして相応の罰、すなわち死刑に処すべきだという意見ですが、津田はこの意見にも否定的でした。古来、日本では復讐(ふくしゅう)を良いこととして褒めたたえてきましたが、計画的な殺人に他ならず、悪い行いだということで、明治6年(1873)2月、復讐の厳禁が政府から布告されます。復讐を禁止したのに、死刑を残している状況を、彼は理解不能だと批判しています。
死刑も殺人者への復讐でしかない、というのが津田の主張であり、刑罰を科する目的は、犯罪者を改善して社会に同化するよう更生させることにあるので、労役を課す刑が望ましいと考えていました。ただ、西洋においても、イタリアの法学者ベッカリーアが1764年に出版した『犯罪と刑罰』で死刑廃止論が出現してから100年経っても、廃止されない状況であり、日本で廃止するのは時期尚早で、今は問題提起にとどめると述べて、論を締めくくっています。
当時、死刑が廃止されていたのは、イタリアのサンマリノ共和国くらいしかなかったようですが、現在では100カ国以上で廃止され、日本でも凶悪事件との関連で議論されるようになってきました。150年前の日本で死刑は「廃止すべし」と考えていた津田は、自身でも時期尚早と認識していますが、非常に先進的であったといえます。

問合せ:津山洋学資料館(西新町)
【電話】23-3324

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