文字サイズ
自治体の皆さまへ

津山の歴史 あ・ら・か・る・と

40/44

岡山県津山市

■江戸時代の眼鏡
日本に眼鏡が最初に伝えられたのは、天文20年(1551)といわれています(『国史大辞典』)。
その後、長崎をはじめとして、京都・大坂・江戸でも作られるようになりました。
江戸時代、津山の人々は、眼鏡を使っていたのでしょうか。
江戸時代中期、安永元年(1772)の津山藩主・松平康哉(やすちか)の日記に、眼鏡の記述があります。康哉は、「眼精不明なる人は、評議の場でも、重役の前でも眼鏡を用いてもよい」と指示しています。この頃には、眼鏡を使用する藩士がいたこと、また、正式な場や重役の前で眼鏡を使用することは避けるべきと考えられていたことが分かります。藩政改革を推進していた康哉は、そのような慣習より、実務が円滑に進むことを重視したのでしょう。
寛政10年(1798)には、大坂の眼鏡屋が津山に泊まり、眼鏡を売り歩いていたことが記録されています。この眼鏡屋は、定期的に津山を訪れていたようです。
また、文政3年(1820)に出版された『美作孝民記(みまさかこうみんき)』の挿絵には、眼鏡が描かれています。この頃には町や村でも眼鏡を使用していた人がいたことが分かります。
挿絵に描かれている眼鏡をよく見ると、現在の眼鏡とは違い、耳にかける部分がありません。また、書籍と共に描かれていることから、読書の時に使用されていたと推測できます。
このように、江戸中期以降、津山でも徐々に眼鏡が普及していったと考えられます。

問合せ:津山郷土博物館(山下)
【電話】22-4567

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU