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津山の歴史 あ・ら・か・る・と

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岡山県津山市

■重伝建地区の町家の高さ
現在、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定されている城東・城西地区の町々では、江戸時代の城下町建設にともない、出雲往来に沿って商人や職人が住み、町家が建てられていきました。
江戸時代の町家は基本的に平屋建てです。2階建てにするには特別に許可が必要でした。そこで幕末までに建てられた町家の多くは、1階の屋根裏に当たる2階部分を物置(つし)などとして利用したため、建たち(建物の高さ)が低くなっており、これを「つし二階」と呼んでいます。その後、明治から大正・昭和初期にかけ、2階を居室として使うために高くする改造をしたり、建て替えられたりし、建ちが高い「本二階」と呼ばれる形式に変わっていきました。
このことから、建築された年代が古い建物ほど建ちが低く、新しくなるにつれ高くなっています。
城東地区は、江戸時代に経済活動が盛んに行われ、近世の江戸情緒漂う町並みを残しています。幕末明治期に建てられた町家を主体として、つし二階の形式とする町家が多くあります。
一方、城西地区は江戸時代の地割(敷地割)を残しつつ、明治31年(1898)に津山駅(現在の津山口駅)~岡山駅間を結ぶ中国鉄道が開通したことなどにより、明治時代以降に大いに発展しました。その時期に建てられたり、改造が行われたりした町家は、2階に広い座敷を設けるなど居室化が進み、本二階の形式とするものが多くあります。
町家の高さ、特に2階に着目してみると、城東、城西地区の町並み景観に違いが現れています。
両地区の発展の歴史、背景にも思いを巡らせながら、まち歩きをしてみてはいかがでしょうか。

問合せ:歴史まちづくり推進室
【電話】32-7000

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