▽「茶屋あと」について
志戸坂峠には、茶屋があったと言われています。この茶屋は、参勤交代や国道で利用されていた際に峠の茶屋として利用されました。現在、建物自体は残っていませんが、発掘調査したところ下記の写真のように茶屋の痕跡が残っています。他にも茶屋あとを発掘した際、『肥前系磁器』が出土したことからも茶屋があったことがわかります。村内で、当時の志戸坂峠や茶屋あとを知る人物として、坂根の檀原重男さん(大正14年生まれ)にインタビューを行いました。檀原さんの子ども時代は、坂根は宿場町として栄え、旅館や呉服店など立ち並んでいたそうです。また、開鑿碑(かいさくひ)には檀原重蔵さんという方の名前が記述されています。この方は、曾祖父にあたる方だそうです。
・檀原重男さん
昔、坂根は宿場町で旅館や呉服店などがあり、家の周りには様々な店が立ち並び栄えていました。当時、村には木炭産業があり、そこで働く人たちが泊まったりしていました。当時の志戸坂峠については、親戚の家が鳥取にあり、峠を歩いて行ったことがあります。また、峠のお茶屋さんがありました。そのお茶屋さんには、志戸坂饅頭というあんこが入った小さい和菓子が売られていました。
▽「石垣」
志戸坂峠には明治18~20年の道路の建設に伴って築かれた多くの石垣が点在しております。積まれた石については、使える石材を探して村内外から運ばれてきたようです。
本紙左記の写真からわかるように、石垣には色や形の違いがありますが、村が令和3~5年で行った総合調査で、明治の道路建設時に一緒に積まれたことが判明しました。限られた石材を場所の特性に応じて使い分けていたことがうかがえます。近年では、平成30年の豪雨などで一部が崩れましたが、村が国や県の協力を得て復旧しました。
・志戸坂峠には、石垣が多く点在しています。すごく高く積まれた石垣、石材によって形や色が異なる状況、苔むす石垣など、さまざまな表情を見ることができます。
▽今後の志戸坂峠について
今回、国の史跡として追加された指定地は、すでに指定地となっている智頭町側と隣接された部分であり、智頭町と西粟倉村が一体となって保護・活用していくことを考えております。また平成30年豪雨災害により崩れた箇所を復旧したものの、通行しにくい箇所や石垣が崩れかけている箇所があります。
村ではこれらの課題を整理し、村民のご理解とご協力をいただいて、この大切な史跡の価値を保存・継承していきたいと考えております。これまで知る人ぞ知る存在であった志戸坂峠の価値が専門家によって認定されることになりましたので、この機会に、たくさんの方に訪れて欲しいと思っています。
次回の広報にしあわくら10月号から2月号まで、志戸坂峠の価値付けや調査研究に関わっていただいた専門家が寄稿した連載を開始します。
また11月にはこの専門家方々と一緒に志戸坂峠を登ったり、価値を学べたりするイベントの企画を予定しております。お楽しみください。
■スケジュール
問合せ:教育委員会
<この記事についてアンケートにご協力ください。>