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志戸坂峠を見守る開鑿碑

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岡山県西粟倉村

志戸坂峠の頂上付近には大きな碑が建てられています。これは明治20(1887)年に峠道が一新されたことを記念したものです。
明治政府は近代的な道路網を整備するため、明治9(1876)年に布告を出し、それまでの道を国道・県道・里道に分類し、それぞれを一等から三等に分けました。このとき志戸坂峠は大阪と鳥取の軍事施設を結ぶ重要な路線として県道一等に指定され、出雲往来とならび山陰・山陽をつなぐ要としての役割を引きつづき担います。さらに、明治18(1885)年1月の布達により志戸坂峠は東京と鳥取を結ぶ国道22号に指定されました。こうしたなかで、同じ年の11月には岡山県令・千坂高雅の指令により、峠を削り道を改良する大掛かりな工事が始まります。この工事はおよそ1年8か月、4385円もの費用を投じて、ついに明治20年(1887)6月に竣功したのでした。今回の発掘調査では、峠頂上付近からは幅3.4メートルの道が確認されています。
碑の表面の漢文は古町出身の医師で漢学を修めた渡辺真機太によるもので、大雨や雪のたびに苦しめられた難所も「回転流るるごとし」となめらかに進むことができるようになったこと、村人にとって「厚生の道」であるなどと、道の完成を誇らしく記しています。裏面には碑を建てるために寄附を行った当時の郡長など69名の氏名が刻まれました。碑のそばには茶店があり、おまんじゅうが名物だったそうです。
こののち、自動車が普及するなかで昭和9年(1934)年に旧トンネルが整備され、峠を行き交う人々は少なくなりましたが、碑は百年以上前の人々の思いを今に伝えています。

智頭往来-志戸坂峠越保存整備活用委員会委員
岡山大学文学部准教授 松岡弘之

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