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今、詩人・永瀬清子がアツい。(1)

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岡山県赤磐市

「永瀬清子の里づくり事業」が始まったのは、平成8年の旧熊山町。平成17年の合併後も赤磐市に引き継がれ、最近では、ユネスコ文化創造都市に国内初の文学部門で加盟が決まった岡山市の岡山連携中枢都市圏「文学によるまちづくり」事業に参加しています。
今、永瀬清子の詩は、英語やフランス語に翻訳されるなど、国内のみならず、海外でも注目が集まっています。
また、市内外の個人や団体も詩人・永瀬清子を慕い、活動しています。その活動は多岐にわたり、朗読劇での上演、生家の保存活動、詩を歌う、布絵にするなどさまざまです。
この特集では、そうした皆さんの活躍について紹介します。

■永瀬清子ってこんな人
明治39年2月17日、現在の赤磐市松木に生まれる。平成7年、89歳の誕生日に生涯を閉じるまで、現役を貫いた現代詩の母。17歳のとき『上田敏詩集』を読み、詩人を志した。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が書かれた手帳発見に立ち会ったことで知られる。父の赴任で金沢・名古屋、結婚で大阪・東京と移り住み、その後、夫の転勤で岡山市の母の家へ。戦後、松木に帰り田畑を耕し、子育てをしながら詩作を続け、みずみずしい言葉で自然や生活をうたった。
詩集に『グレンデルの母親』(第1詩集)、『美しい国』、『春になればうぐいすと同じに』、短章集『流れる髪』、随筆集『光っている窓』、絵本『ひでちゃんのにっき』、『ぼくと母さんのうた』など多数。第1回岡山県文化賞、第19回三木記念賞、詩集『あけがたにくる人よ』により地球賞、現代詩女流賞など多数受賞。日本現代詩人会物故名誉会員。

□永瀬清子の生涯が気になった人は…
マンガふるさとの偉人
『詩人永瀬清子物語わがたてがみよ、なびけ』
市立図書館やB and G財団のサイトで無料で読むことができます!
(マンガ:藤井敬士/シナリオ:和田静夫)

■今、永瀬清子がアツい!皆さんの活躍について紹介します!

□NPO法人永瀬清子生家保存会
理事長 横田 都志子さん
永瀬清子の暮らし全体を感じてもらい、永瀬清子の詩に触れてもらいたいと願い、生家保存活動を行っています。
令和6年2月、納屋を改装したカフェを開いたことがきっかけとなり、生家にも永瀬清子を慕う人が訪れるようになりました。中には、永瀬清子を知らない人が訪れることもあり、永瀬清子について知ってもらう機会が増えました。
また、朗読や詩作講座などのイベントを行うほか、母屋の2階などをギャラリーにして企画展を始めました。
2月に開催する紅梅忌では、朗読会のほか、第7回永瀬清子現代詩賞に入賞した詩人、選者、詩の好きな人たちと語り合う交流会もあります。没後30年となる今年は、さまざまなイベントを通じて、永瀬清子の思いを発信したいと思います。

□白萩の会
代表 竹入 ひかる子さん
平成18年10月に結成し、永瀬清子の朗読劇、講演会、ミニ朗読会を開催してきました。会員は、朗読の活動をしていた人、永瀬清子の詩集を読んでいた人などさまざまです。最初は詩を読んでもよく分からなかったのですが、朗読劇に参加し、泥臭くて庶民的な一面があるなど永瀬清子像が見えてくると楽しくなってきました。
これまで7つの朗読劇を上演しており、自主公演の収益金の一部は、永瀬清子生家保存会に寄付し、活動を応援してきました。また、市主催の第20回朗読会では、「松木の村より」を上演しました(4ページ上の写真)。
これからも上手に読むのではなく、私たちの声や人柄で永瀬さんの詩を伝えていきたいと思っています。

■皆さんの活動のきっかけになった生誕100年記念の会
平成17年3月の合併で赤磐市が誕生し、最初に行った第10回朗読会「永瀬清子の詩の世界」は、永瀬清子の生誕100年を祝う「永瀬清子生誕100年記念の会」として実施しました。旧熊山町時代に主催した朗読会で、小野澤篤さんが作曲し、沢田知可子さんが歌った「美しい国」を女声合唱曲に編曲し、生誕100年にちなみ市民100人で合唱しました。
この会をきっかけに、永瀬清子の詩を歌ったり、朗読したりする楽しさが知られ、市民団体の活動の輪が広がっています。

※詳細は本紙をご覧ください。

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