令和6年度、春の叙勲・褒章が発表されました。
市内の受章者の皆さんを紹介します。
■地方自治・児童福祉功労 瑞宝双光章 稲村 和雄(いなむら かずお)さん(長内町・79歳)
昭和43年にいなり保育園を開設。園長として令和3年の退職までの長きにわたり、児童の保育に尽力しました。平成13年からは中長内町内会の会長に就任。自主防災組織の会長も務め、多方面で地域づくりに貢献しています。
受賞にあたり「23歳でいなり保育園を開設。保育の経験がない中で、手探りで取り組んできました。東日本大震災では、日本保育協会の岩手支部長として、届いた支援物資を積んで、被災した沿岸の保育園を回ったことが思い出されます。町内会長としては、市の事業を活用し、道路側溝や環境を整備。保育園行事などへの参加を促し、住民が関わりを持てる地域づくりを進めています。
話し合いを大切にし、協力できる体制づくりを心掛けてきました。皆さんに協力していただいたおかげで今があります。町民の皆さんといただいた賞だと思っています」と感謝の気持ちを述べました。
■防衛功労 瑞宝単光章 間 則明(あいだ のりあき)さん(天神堂・62歳)
昭和56年に海上自衛隊に入隊。航空電子整備士として神奈川県の厚木航空基地や八戸航空基地に勤務しました。海曹士を統括する先任伍長を務め、隊員を導き、40年余りの長きにわたり、防衛任務に貢献しました。
受章にあたり「飛行機に興味があり、航空整備士として関われる海上自衛隊に入隊。アメリカ留学で潜水艦を探知する技術を学び、日本への導入に携わりました。自衛官を募集する広報の仕事も担当。久慈に戻ってきて、自衛官を志す学生とともに活動したことが思い出されます。先任伍長に任命され、隊員の規律維持や団結を図り、東日本大震災では現場で働く隊員のケアに努めました。
無事に定年を迎えることができ、家庭を守ってくれた妻に感謝しています。自衛隊にはさまざまな選択肢があります。挑戦しながら自分の求める仕事を見つけ、世のため人のために頑張ってほしいです」と語りました。
■消防功労 瑞宝単光章 たも木 照夫(たもき てるお)さん(山根町・74歳)
昭和55年に久慈市消防団員に任命。消火活動や防火思想の普及、消防施設の整備に尽力しました。平成20年からは副分団長として団員を導き、令和2年の退職までの長きに渡り、地域の消防活動に貢献しました。
※たも木さんの写真・インタビューの掲載は、本人の意向により、割愛させていただきます
※「たも木」の「たも」は環境依存文字のため、かなに置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
■児童福祉功労 瑞宝単光章 中小路 千鶴子(なかこうじ ちづこ)さん(小久慈町・68歳)
昭和51年に小袖保育園に採用。平成元年に主任保育士、平成9年からは園長を務め、46年間の長きにわたり同保育園の児童の保育に尽力しました。
受章にあたり「卒園式の別れの言葉や曲に合わせて走るマラソンなど新しいことに挑戦しました。卒園児から箱根ランナーが出るなど活躍が聞こえうれしいです。長く務め、卒園児の子どもまで親子2代の保育をできたことも幸せでした。創立50周年を迎えたときは、園長として、先輩方がつないできた歴史を残そうと記念誌を作成。皆さんに協力いただき、完成した記念誌は宝物です。
夫や家族には、遅くなることも多い中で支えてもらい感謝しています。大人も子どもも笑顔で家庭のような保育を心がけてきました。家庭を大切にできない人に保育をはできません。家庭を大切にしながら、温かい保育をしていってほしいです」と後輩にエールを送りました。
■消防功労 瑞宝単光章 中村 光雄(なかむら みつお)さん(大川目町・75歳)
昭和42年に久慈市に消防士として採用。種市分署長、久慈消防署副署長などを歴任し、40年余りの長きにわたり、地域の消防活動に尽力しました。
受章にあたり「車が好きで、仕事でも消防車両の管理に携わりました。はしご車と大型水槽車の導入を担当。必要な機能を取捨選択し、導入したことが思い出です。
印象に残るのは昭和58年の久慈大火。休日でしたが知らせを聞きつけ急行し、家に帰らず消火活動にあたりました。当時の車両はドアがなく、暖房もないため、車のエンジンの熱で暖を取っていたことが思い出されます。
火事だけでなく、水害や救急などさまざまな仕事がありますが、事故を起こさないことを第一に活動してきました。現場に出れば、仕事が終わるまで家に帰ることができません。家を空けることが多い中で、支えてくれた妻に感謝しています」と思いを語りました。
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