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モリオカ縄文文化 vol.1

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岩手県盛岡市 クリエイティブ・コモンズ

今から約1万2000年~2300年前、約1万年もの長い期間続いた「縄文時代」。実は、私たちの身近にも縄文時代の遺跡があることを知っていますか?市内の遺跡と遺物などから、盛岡の縄文文化を深掘りします。

遺跡の学び館キャラクター「みっけ」
「盛岡の遺跡の数はなんと789カ所。そのうち約半分が縄文時代の遺跡で、県内でも縄文時代中期の大規模集落は特に多いんだ!」

■縄文文化とは?
長い間、厳しい寒さが続いていた氷河期が終わり、温暖な時期へと移り変わるころ、人々は縄文土器を使い始めました。「縄文」とは、土器の表面に縄を転がしてつけた文様(もんよう)のことで、これを含むさまざまな土器が使われていた時代を「縄文時代」、そしてこの頃の文化を「縄文文化」と呼びます。

■盛岡の「縄文文化」を見てみよう!
▼日本最大級の土器 深鉢形土器(大館町遺跡)
昭和55年に細かい破片の状態で出土。復元作業により、高さ約93センチ・幅約62センチもある日本最大級の縄文土器と判明しました。深鉢は、土器としての役割の中でも重要な「煮炊き」の道具として使われていましたが、この土器は作られた時から多くのヒビが入っていたと分かること、煮炊きに使った跡もないことなどから、容器としてではなく、集落の祭りなどで特別な土器として使われたのではないかと考えられています。

▽大館町遺跡(大館町)
約5000年~4000年前の縄文時代中期に、市内で最も長く繁栄した大規模集落の遺跡です。この時代の遺跡では県内最大級で、縄文時代の集落や社会構造を知る上で非常に重要な遺跡として、平成12年に岩手県史跡に指定されました。

▼動物のような文様が描かれた土器 深鉢形土器(柿ノ木平遺跡)
縄文時代中期の土器は、粘土ひもの貼り付けなどで描かれる渦巻文様が特徴的。高さ約72センチ・幅約42センチのこの土器は、渦巻文様とトゲ状の形、平行線などで「水鳥の動き」が表現されているようにも見えます。また、建物の床下に逆さまに埋められた「伏甕(ふせがめ)」と呼ばれる状態で発見されており、地鎮や生まれた子の長寿を祈る風習があったと考えられています。市内の遺跡の中で、群を抜いて伏甕の出土数が多いことなどから、これを含む20点の土器が市の有形文化財に指定されました。

▽柿ノ木平遺跡(浅岸)
約4500年~4000年前の縄文時代中期の大規模集落で、現在は住宅地になっています。発掘調査では、全国的にも多い約50点の伏甕が発見されました。

■興味を持った人はこちら
遺跡の学び館(本宮字荒屋)では、土器や大館町遺跡発掘現場の再現を見学できるほか、さまざまなイベントを開催しています。

問合せ:遺跡の学び館
【電話】635-6600

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