■シリーズお城拝見 第92回 土師の城跡(八千代町土師)
歴史民俗博物館副館長 秋本 哲治
土師ダムが完成して今年で50年。ダム建設時には土師一帯の地形が大幅に改変され、失われた遺跡が多数あります。戦国時代の土師は史料が限られていますが、今回は土師に残る城跡を紹介します。
◇土師の城跡
現在の土師地域は水没前、中央を江の川が貫き、上・中・下の3地区に分かれていました。その中で、城跡は現在計4か所が確認されています。この内、当時の土師の中心部に当たる[A][B]は戦国時代の土師の領主、中村氏の城とされています。一方、[C]は江の川や集落からかなり離れており、[D]は遺構が粗く不明瞭で、いずれも城主は不明で臨時的な城と推測しています。
◇田屋城・大迫城
中村氏の本拠城といわれるのが[A]田屋城(標高286m)で、山頂の本丸とそれを囲む横堀が残りますが、直下の郭(くるわ)(平たん地)がダム建設時の道路により分断されています。[A]から約750m離れた[B]大迫城(標高341m)はダム建設前の遺構を留めています。
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