■シリーズお城拝見 第91回 (仮称)竹部迫城・志部府城(高宮町佐々部・船木)
歴史民俗博物館 副館長 秋本 哲治
過去の記録になく、遺跡地図にも掲載されていない未知の城跡の現地調査をしています。
今回は高宮町佐々部の城跡を拝見!
◇佐々部の城跡
佐々部地区には現在5か所の城跡が確認されており、特に[B]面山城(市史跡)と牛首城が地元の領主佐々部氏(元就時代に毛利家臣に)の城跡として知られています。
このうち佐々部氏の当初の本拠とされる[B]面山城の東西の尾根上([A]と[C])に、それぞれ新たな山城遺構を確認しました。一部の地元の方は[A]の遺構をご存じでしたが、今回は山麓の集落名から、仮称「[A]竹部迫城」「[C]志部府城」とします。なお、面山城は本来「免山城」で、山名は龍王山です。「面山」という山は面山城から1.2km北東の吉広にあります。
◇竹部迫城(標高383m)
面山城の西約500m、竹部迫八幡神社の裏山にあります。背後に土塁のある曲輪[1]を中心に、西に向かって平坦地が残ります。背後に明確な堀切はありませんが、[1]の周囲は鋭く削られた斜面に覆われています。ここからは北西の野部側の眺望が利き、野部・式敷方面を意識していたことが分かります。小規模な山城ですが、出城の役割であったと考えられます。
◇志部府城(標高406m)
面山城の東約550mにあり、すぐ西側に車道が通ります。遺構は南北に土塁を備えた曲輪[2]とその周囲の幅広の通路状平坦地というシンプルな構造です。城跡の中心が佐々部と船木の境界に当たることから、ここも面山城東側の出城であった可能性があります。
志部府の中心には字名から「市場」が存在したと考えられることから、面山城は[A][C]や南の[D]狐城と一体的に機能していたのかもしれません。
※詳しくは本紙をご確認ください。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>