■シリーズお城拝見第94回 北就勝(なりかつ)と北の城(美土里町北)
歴史民俗博物館 副館長 秋本 哲
2024年12月号では毛利元就の異母弟であった相合元綱に触れましたが、もう一人の異母弟である就勝のゆかりの地が美土里町の北です。今回は新発見2か所を含む、北地区の城跡を紹介します。
◇北と就勝
戦国時代始め、北は高橋氏の一族北氏の本拠でしたが、1530年ごろに大内方として毛利元就が北を支配下に置きました。そして元就の異母弟就勝が北氏を相続し、「北就勝」と名乗ります。その後、一時出雲の尼子氏が「北の城」を占拠し、毛利氏との係争地となっています。就勝は1544年においの元春(後に吉川氏)を養子に迎え、北の所領はその後元春が継承しています。
◇北の城跡
東西に生田川が貫く北地区の城跡はこれまで[A]桜尾城、[B]小城、[B]山田城の3か所が知られています。北の中心を見下ろす[A]は最大規模の城で、[B]は[A]の出城のような立地です。一方、[C]は谷の奥に隠れたような立地ですが、多数の堀切など防御に特化した特異な遺構が残ります。城主などの伝承はいずれも不確かで、詳細は不明です。
※詳しくは本紙をご確認ください。
◇新たに確認した城跡
今回航空レーザー測量図の読み込みと現地調査により、2か所の城跡[D]「陣ガ丸」と[E](仮)「下郷城」を確認しました。
[D]は県道中北川根線から山田への分岐点脇の丘陵上にあり、頂上の主郭(平たん地)を中心に南北に堀切が残ります。その位置から江戸時代の記録や絵図にある「陣ガ丸」がこれに当たると思われます。[E]は[D]から500m東の細長い山上にあり、周囲は高く鋭い切岸(壁面)となっています。
※詳しくは本紙をご確認ください。
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