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■倉田百三(くらたひゃくぞう)の自筆原稿が発見されました(庄原小学校校歌作詞)
令和5年9月、西本町の武村治彦(たけむらはるひこ)さん宅の金庫から、「倉田百三遺物在中」と書かれた封筒が見つかりました。中には、和紙の便せんに毛筆で「庄原国民學校(がっこう)校歌 倉田百三作歌」の見出しで始まる歌詞の原稿が入っていました。「庄原国民學校」は現在の庄原小学校で、昭和16年~22年の呼び名です。
庄原小学校の校歌は、本市出身の作家・倉田百三が作詞したことは広く知られていますが、百三の自筆原稿の所在は確認されていませんでした。
百三が校歌を作詞した経緯について、武村さんの父・武村英壮(えいそう)さんが、「庄原文藝(ぶんげい)第10号」(昭和56年11月庄原市文化協会発行)の中で、次のように回顧しています。「昭和12年の夏休みに催された庄原小学校の同窓会のことである。(中略)その準備会の席で上杉(うえすぎ)先生が『庄原小学校には残念ながらまだ校歌というものがない。(中略)幸い庄原には倉田百三という郷土が生んだ作家がおられる。武村は親戚だそうだが、君から歌詞を頼んでもらえないか』と言われて、早速東京大森の倉田氏へその旨をお願いした。(中略)やがて私の依頼についての返事と共に出来上がった校歌が送られて来た。今も小学校の何処かに保管されているかも知れないが、和紙に毛筆で書かれてあったように思う」
当館では、今回発見された歌詞原稿を預かり、「倉田百三友の会」の松園真(まつぞのまこと)会長を中心に、百三本人の直筆であるかどうかの確認作業を行いました。当時の百三自筆の書簡などとの筆跡を照合し、封筒に同封されていた手紙の内容や当時の状況などを総合的に判断した結果、本人の直筆で間違いないとの結論に至りました。
歌詞は4番までありますが、いつの頃からか1番と3番のみが歌われるようになったようです。
原稿は、本年2月に武村さんから当館へ寄贈されたため、展示公開などを含め、末永く大切に保存・活用していきたいと考えています。
問合せ:田園文化センター(歴史民俗資料館・倉田百三文学館)
【電話】0824-72-1159
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