開館:10時~17時、
休館:月曜(祝日開館・翌日休館)・年末年始
■史跡 佐田谷・佐田峠墳墓群(さただにさただおふんぼぐん)出土土器
佐田谷・佐田峠墳墓群は宮内町・高町に所在する弥生時代中期後葉から後期前葉にかけて造られた四隅突出型墳丘墓3基、方形台状墓4基、方形周溝墓1基からなる墳墓群です。
日本列島で首長墓が出現する弥生時代中期~後期にかけての墳丘築造方法や埋葬施設の配置、墳墓祭祀の変遷などが明らかになった事例として評価を受け、令和3年10月11日に国の史跡に指定されました。
この史跡からは、土器を中心にさまざまな遺物が出土しています。その中で特に注目を集めているものに注口付脚台付鉢型土器(ちゅうこうつききゃくだいつきはちがたどき)があげられます。
注口付脚台付鉢型土器は佐田谷1号墓で2点、佐田谷3号墓で3点、佐田峠3号墓で1点が出土しています。その形状は、やかんのような注ぎ口がついたそろばん玉状の鉢を大きな脚台にのせて、くっつけたような姿をしています。
では、約2千年前の庄原市で暮らしていた人たちが、日常生活の中で飲料を注ぐためにこの土器を使用していたのかというと、そうではありません。
復元されたものの中で最も大きい佐田谷3号墓出土の注口付脚台付鉢型土器は高さが約55cmあり、とても日常の生活で気軽に使えるような大きさ、重さではありません。
これらの土器は鋭利な道具を用いて細かな文様がつけられ、酸化鉄を主原料とするベンガラという赤色塗料が塗られていたことから、かなり装飾性の高い土器といえます。
また、発見された場所もお墓であることから、この土器は日常生活で使用されていたものではなく、お墓の上で行われた祭祀(さいし)のために作られた特別な土器と考えられています。
佐田谷3号墓出土の上記の土器は、その文様や土器作成に用いられた土が庄原地域のものとは異なり、吉備地域の特徴を有しています。そのため、弥生時代後期前葉ごろには広島県北部地域と岡山県北部地域の間で、すでに交流があったことを示す大変重要な資料です。
佐田谷・佐田峠墳墓群出土土器の一部は当館で展示していますので、ぜひご覧ください。
問合せ:田園文化センター(歴史民俗資料館・倉田百三文学館)
【電話】0824-72-1159
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