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広島県府中町

【第35回】府中町で体験、四国お遍路(21)正観寺(1)

府中町内の新四国八十八ケ所の第32番は真言宗の箱島山慈眼院正観寺(はこしまさんじげんいんしょうかんじ)です。新大洲橋(しんおおずばし)近くの小高い山の上に墓地や寺院が見えます。ここが正観寺です。この山は小畠山(こばたけやま)といい、頂上からは呉娑々宇山(ごさそうざん)から広島市内や瀬戸の島々までが見渡せます。
正観寺は元々この地に建てられた寺院ではなく、古くは広島市内にあり戦後に現在地へ移ってきました。広島市内の寺院の多くは、広島城の築城に際し毛利輝元(もうりてるもと)と共に旧高田郡(たかたぐん)から移転して来たもの、関ケ原(せきがはら)の合戦(かっせん)後に福島正則(ふくしままさのり)によって建立されたもの、浅野長晟(あさのながあきら)と共に和歌山から移転または新たに建立されたものです。ただ築城以前からの寺院もあり、白島九軒町(はくしまくけんちょう)にあった正観寺はそのうちの一つです。他では曹洞宗(そうとうしゅう)の瑞川寺(ずいせんじ)(旧尾長村)や真言宗の光明院(こうみょういん)(白島九軒町)・明星院(みょうじょういん)(旧明星院村)など数は限られています。
箱島(白島)は築城前の三角州に開かれた五箇村(ごかむら)の一部です。毛利元就(もとなり)は、天文(てんぶん)10(1541)年に大内氏側として銀山城(かなやまじょう)(安佐南区)を攻め、安芸国の守護(しゅご)武田氏(たけだし)を滅ぼします。この時の大内氏からの恩賞が佐東川(さとうがわ)(太田川(おおたがわ))の近辺の緑井(みどりい)・矢賀(やが)・五箇村です。この辺りでは川内衆(かわのうちしゅう)と呼ばれる水軍が活躍しています。正観寺の近くの航海の神である碇(いかり)神社も築城以前からあり、水運などに従事した人々が住み、寺社の信仰を深めていたのでしょう。
正観寺の縁起(えんぎ)には霊亀(れいき)元(715)年に行基(ぎょうき)が海岸の岩の間から夜な夜な光る約5cmの石像を見つけ、自らこの尊像を胎内仏(たいないぶつ)とした聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を彫刻して本尊とし、正観寺を建立したとあります。

府中町文化財保護審議会委員 菅 信博

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