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ふるさとふちゅう再発見【第32回】

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広島県府中町

府中町で体験、四国お遍路(18)鵜上寺(5)
鵜上寺(うじょうじ)から南西方向を眺めると繁茂(はんも)した草木の中に手水鉢(ちょうずばち)が一つ見えます。これは府中村で医師・村役人などを務めた原田家の庭園跡と手水鉢です。原田家は『芸州府中荘誌(げいしゅうふちゅうそうし)』によると安芸国の守護武田氏の一族で原田姓を名乗り府中村で医業を開きました。医師の他、江戸時代後期の原田春耕(しゅんこう)や原田春台(しゅんだい)は漢学者(かんがくしゃ)としても有名で、頼山陽(らいさんよう)の父である頼春水(らいしゅんすい)とも交流がありました。「春水日記」(『頼山陽全書』第8巻)には春水が原田家を訪ねたり、原田春耕が春水の家に来たという記事が数多くあります。春水は龍仙寺(りゅうせんじ)もよく訪れています。府中村は文化人が多く、広島城下からほどよい距離にある景勝地だったのでしょう。
原田家庭園は「松の古木(こぼく)が生(お)い茂り滝もありりっぱな山水の庭」で、鵜上寺西側の森は「原田の森」と呼ばれて鵜を祀る小祠(しょうし)があり庭の借景(しゃっけい)となっていました。春水はこの庭園を白雲亭(はくうんてい)と命名し、自筆の木額(きがく)を掲げました。この手水鉢は『芸州府中荘誌』によると、元は石井城内の庭園にあったもので、石井氏から原田家に寄贈されたものです。この手水鉢に水を張ると宮島の島の姿が映ったと言います。同書には桃縁斎貞佐(とうえんさいていさ)がこの手水鉢を詠んだ「松におく霜はしらゆふ宮しまやよるべの水か石鉢に影」という歌を載せています。桃縁斎貞佐は江戸時代中期の人で、広島を代表する狂歌師(きょうかし)です。『芸備先哲伝(げいびせんてつでん)』によると備中(びっちゅう)出身で広島の芥川(あくたがわ)家の養子となり、町役人も勤めています。幼少時から蹴鞠(けまり)・三弦(さんげん)・尺八・点茶・挿花・囲碁・俳句などを学んだ多彩な人です。
現在、原田家は町外に移転され、庭園の一部と手水鉢がかつての姿を伝えるのみです。
府中町文化財保護審議会委員 菅 信博

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