わずか76年後には、日本の人口が今の半数に減少すると見込まれるなか、“ふるさと熊野”を子や孫に残すために、私たちには今できることがあります。
個性豊かな文化を活かした魅力的なまちづくりも、移住する場所、住み続ける場所として人々をまちに惹き付ける大切な取り組みの一つのはずです。 熊野町は筆産業とそれにより培われた文化芸術が息づくまちです。このソフトパワーを活かし、この地に住む人々がつながり、まちと文化を未来につなげるため、都市公園と観光交流拠点施設の建設を進めています。
今月号では、本町の地域文化の源といえる「筆づくり」の歴史や伝統的工芸品の指定についてひもときます。
■熊野筆の歴史
近世までの熊野村には、農閑期の副業として、上方方面(近畿地方)に出稼ぎに赴く習わしがありました。有馬や奈良地方で筆や墨を仕入れて行商をする村民もいたと考えられ、江戸後期になると、筆や墨を上方方面から村に直接仕入れて各地に売りさばく豪商も現れました。
それから数十年の時を経て、若い村人が広島城下の藩御用筆司や有馬の筆司から製法を学び、帰郷して毛筆づくりを始めるとともに、村民にもその技術を伝えました。
このように、“熊野”と“筆”の結びつきは、筆や墨の商いから始まりました。その後、学校教育での書写の必修化や画筆・化粧筆への革新的な応用もあって、全国一の筆産地に発展して、今日に至っています。
◇毛筆元祖頌徳之碑(もうひつがんそしょうとくのひ)
井上治平は藩御用筆司から、乙丸常太は有馬で学びました。両名の功績を称え、榊山神社境内に建立されています。
◇毛筆元祖之碑(もうひつがんそのひ)
有馬で学んだ佐々木為次の碑です。城之堀地区の宅地内に建立されています。
■伝統的工芸品の指定
昭和50年に「熊野筆」の名称で通商産業大臣(現・経済産業大臣)から指定されました。広島県内の工芸品の中で初の指定であり、全国の毛筆産業界の先駆けとなりました。
▽伝統的工芸品
伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき指定されます。原材料や技術・技法が今日まで継承されていて、その持ち味を維持しながらも、日常生活で用いられるように、時代環境や需要に応じておよそ100年間以上にわたり改良がなされてきた工芸品をいいます。
▽伝統工芸士
大臣指定の伝統的工芸品製造従事者のうち、高度の技術・技法を保持する技術者として一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会が認定します。
現在、11人の伝統工芸士が「熊野筆」製造の技術・技法を継承するため、活躍されています。
筆は、書や絵画、工芸品などの制作用具であり、化粧や塗装のほか、調理などに使われる日用品でもあります。
私たちのまちには、こうした“美”を創作する多様な筆の生産や書画芸術にかかわる取り組みなど、伝統的な「筆文化」が息づいています。
町では、この文化資源を活かした、住民主体による新たな地域ブランドづくりを推進しています。
1月号では、観光交流拠点施設を拠点に文化芸術活動を推進するネットワーク「クマノ・クリエイティブ・パレット(KCP)」について紹介します。
問合せ:
〔公園について〕都市整備課【電話】820-5608
〔施設について〕産業観光課【電話】820-5602
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