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上板町派遣職員報告「令和6年能登半島地震」

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徳島県上板町

■産業課 主事 鎌田 航平
この度、関西広域連合から徳島県を通じた要請により、県内自治体職員8名が、避難所運営支援第5陣、市町村職員からは第1陣(1月18日から23日)として、石川県輪島市門前町の各避難所に派遣されました。
私は、諸岡公民館、道下集会所、松風台保育所を県職員も含め3名で3か所を支援する形で現地に入りました。この3か所の避難所と、その周辺の自宅避難されている方を合わせて約200名の方が避難生活を送られていました。今回の避難所運営支援では、物資の仕分け、管内の清掃、炊き出しボランティアの日程調整等の業務を行いました。その中でも、特に大変だった業務は避難者名簿の作成です。避難所生活されている方だけでなく、自宅避難されている方への物資や炊き出し等の配給も行っているため、地域全体を把握する必要がありました。また、保健師チームと連携して避難者の健康チェックを行うため、正確な情報が必要になります。しかし、我々のような派遣職員では名前や住所を聞いてもわからないことが多く、名簿の作成には苦労しました。そこで、心強かったのは区長(本町でいう支部長)の方々でした。その方たちは地区の状況を網羅しており、協力して業務を進めていきました。もう一つ重要な業務は、避難者の要望調査です。刻一刻と変化するニーズを把握し避難生活の改善に努めました。私が支援活動していた時は、食料や飲料水の物資は十分にありました。21日にはNPO法人の方々のご協力のもとお風呂と洗濯機が設置されましたが、石鹼や洗剤等が不足していました。また、洗濯機には乾燥機能が付いておらず、公共の場で干すこともできないため、場所の確保が課題となりましたが、派遣期間内では解決できなかったことから、次班へ引き継ぐこととなりました。
業務の合間には避難者の方と話す機会があり、その中で、「自分たちの町は被害が小さいと思われているのではないか。」とおっしゃっていました。報道では輪島市の被害状況をよく耳にすると思いますが、皆さんが目に浮かぶのは「朝市通り」周辺の火災のあった場所ではないでしょうか。「自分たちの町も被害が大きいことを伝えてほしい」との願いがありました。私が支援に入った避難所では玄関や窓が割れ、屋根からは雨漏り、床は傾いていました。今でも毎日のように余震があり、現地に入る2日前には震度5の地震が発生したばかりで、安心して生活できる環境ではありませんでした。さらに、避難所から少し歩くと家は崩れ、瓦礫で道路が遮断されている場所がいくつもありました。なかなか復興の見通しがつかない中、地元の市議会議員の方や区長がリーダーとなり、一日でも早い復興に向けて行動する姿に感銘を受けました。6日間という短い期間ではありましたが、少しでも力になれればと活動することができました。
今回避難所運営支援という貴重な体験をさせていただき、改めて自然災害の脅威を感じるとともに、本町においても南海トラフ巨大地震に対して、一人一人が防災意識を持ち、住居の耐震化や町、学校で行われる防災訓練に真剣に考え取り組まなければならないと感じました。
最後になりましたが、被災地の一日でも早い復興を願っております。

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