■日本遺産藍のふるさと阿波~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~
▽鴨島大菊人形 菊遊座と菊人形会場
藍商から製糸業に転換した筒井製絲(株)の工場前に、大正14(1925)年の秋に「鴨島菊人形」の旗を見たのが菊人形のはじめであります。実業家筒井嘉太郎氏が鴨島菊遊会を組織し、昭和2(1927)年に藍商の本カネマン川真田市太郎氏から2千坪の土地の提供を受け、本カネマン藍屋敷(現日本フネン市民プラザ敷地)東隣の広い畑に、菊遊座を備えた会場を開設し、菊人形、四国菊花品評会が開催されました。昭和16(1941)年に大戦で中止となりましたが戦後に復活し、有楽座(昭和24~34年)→有楽園(昭和35~40年)→江川遊園地(昭和41~43年)を最後に菊人形は休止となりました。
その後、菊花展として鴨島駅前(昭和49~50年)→筒井製絲(株)前広場(昭和51年)で開催された後、菊人形は再び復活し、鴨島駅前駐車場(昭和52~平成7年)→吉野川市役所前広場(平成8年~)と変遷して現在に至っております。
菊遊座では阿波源之丞座による「阿波人形浄瑠璃」も上演されていました。藍商人は地域の文化や芸事の発展に貢献しました。
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