■日本遺産 藍のふるさと阿波~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~
▽工藤家住宅と藍関連文化財群 西麻植駅と江川遊園地跡
工藤家の近くにある西麻植駅は、工藤源助や工藤乕吉(鷹助の父)が費用の大半を負担して開設したものです。工藤鷹助は、西麻植駅の利用者が減少し、廃駅の危機に瀕すると、その存続のために、大衆の憩いの場となる施設の計画を立案しました。そして、所有地2万坪を提供し、多額の私費を投じて江川遊園地の建設にふみきり、昭和3(1928)年1月に起工し、昭和6(1931)年11月に竣工しました。(昭和44(1969)年、吉野川遊園地に改称、平成23(2011)年閉園)
永年無料で解放され、今では考えられない社会奉仕事業でありました。(吉野川遊園地になり遊具が設置されてから入場料が必要となった。)
川には鯉を放流し演芸場や運動場、料亭、食堂、売店も設置されていました。春の桜祭り、夏の花火大会、秋には菊人形が催され、江川会館や催し館では、映画の上映、巡業劇団の公演、浪曲大会や演芸会が催されました。江川会館西側の広場には、野芝居スタイルの舞台が特設され、阿波源之丞座(深見巴龍)による阿波人形浄瑠璃の上演も行われていました。また、サーカス興行なども行い入園者の増大、西麻植駅の乗降客確保に努めました。
その他にも、吉野川に木橋を架け阿波郡八幡町(阿波市市場町)との交通の便を図り、傷痍軍人徳島療養所(国立徳島病院)も誘致し乗降客増に努めました。
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