■日本遺産 藍のふるさと阿波~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~
▽工藤半平記功碑と工藤神社
西麻植の工藤家祖家、藍師兼藍商の家に生まれた。
工藤家の先祖、鎌倉幕府、源頼朝に仕えた伊豆の国の住人、工藤左衛門尉祐経は、富士野御狩の節、曽我兄弟の仇討ちにより没したが、子孫の工藤甲斐守左衛門尉祐重が管領細川氏采地を領し、西麻植城(大木塁)・山嶋城城主としてこの村に移った。その後、工藤家は代々西麻植城(大木塁)跡に居住し、藍屋敷を形成していた。
工藤半平氏は、同志と謀り名藍社を設立後、藍商取締会所に改め、阿波藍製造販売同業組合設立以来副組合長を経て組合長となり、長井長義・鈴木梅太郎両博士の精藍製造事業、久留米絣組合と提携、外藍(インド藍)関税問題解決などに苦心した。西尾村議会の初代議員も務めた。
工藤半平氏の藍屋敷跡は、西麻植児童公園、西麻植教育集会所となり、その東側には市道を隔てて、工藤甲斐守を祀る「工藤神社」が鎮座しており、工藤半平氏が発起人となり、大正13(1924)年10月10日に建立された。また、西麻植八幡神社の奉納石碑にも名が刻まれており、多額の寄付を行っている。西麻植会館前の記功碑(昭和7(1932)年建立)は、元々は南隣にあった西尾村役場跡に建っていたが、町道拡幅工事に伴い現在地に移転した。
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