◆徳島市天狗久資料館 瀧山 雄一(たきやま ゆういち)学芸員からメッセージ
◇国府町和田(こくふちょうわだ)に天狗久を訪ねてみませんか
天狗久によると、阿波人形浄瑠璃が最も盛んであった時期は明治10年から明治20年代だそうです。このころ国府町和田の旧伊予街道に沿った天狗屋周辺には、人形富(にんぎょうとみ)、人形忠(にんぎょうちゅう)、大江順(おおえじゅん)など阿波を代表する人形師が工房を構え、寝る間を惜しんでその技を競い合っていました。明治も後半になると、新しい娯楽の普及や阿波経済の陰りから、阿波人形浄瑠璃の衰退が始まります。人形富、人形忠も亡くなり、大江順は仕事を求めて大阪の文楽(ぶんらく)に移ります。
一つ残った天狗屋は、大正・昭和と厳しい時代を、「神仏像(しんぶつぞう)、萬人形手遊類(よろずにんぎょうてあそびるい)、応御好(おこのみにおうじて)」の看板を掲げ、飾り人形や玩具の人形を作り生活を支えますが、「やっぱり家業は操りです」と宇野千代(うのちよ)に語り、人形師の矜持(きょうじ)は失いませんでした。
昭和53年に三代目が亡くなった後も細工場(さいくば)はそのまま保存され、地元の人たちの手でこくふ街角博物館の一つとして公開されてきました。平成14年に国の文化財に指定されることを契機に、徳島市により現在の姿に整備されました。
天狗久資料館で鑑賞できる映画『阿波の木偶(でこ)』では、父・娘・孫の家族3人が分業で木偶を製作する姿が克明に記録されています。天狗久が語る木偶を彫る心を聞き、その卓越した技を見た後、改めて細工場を眺めると、今にも天狗久が仕事を始めるのではないかと錯覚を覚えます。
ぜひ、この時間を超えた空間で阿波人形師の世界を体感してください。
◇徳島市天狗久資料館
所在地:徳島市国府町和田字居内172
開館時間:午前9時30分から午後4時
休館日:月曜日から水曜日(祝日は開館)、年末年始(12月29日から1月5日)
駐車場:3台
入館料:無料
アクセス:JR府中駅から徒歩約15分、徳島市営バス和田北バス停から徒歩約3分
問い合わせ先:【電話・FAX】088-643-2231
◆徳島県立阿波十郎兵衛屋敷 佐藤 憲治(さとう けんじ)館長からメッセージ
◇阿波人形浄瑠璃の魅力
長年継承されてきたものの中には、その土地の人々が大切にしてきた、地域の文化や感性が色濃く残っています。徳島の人々がこよなく愛してきた人形浄瑠璃とは、どんな芸能でしょうか。
人形浄瑠璃の脚本のほとんどは、江戸時代の浄瑠璃作者が書いた文学作品です。七五調の美しい文章で物語を綴り、男女や親子の情愛、迷いや嫉妬、善悪、狂気など人間の本性をあぶり出します。
主役である太夫は、物語の登場人物すべてのセリフや情景を、緩急、強弱、高低、間合いを駆使して劇的に語ります。太棹の三味線は、喜怒哀楽や情景を豊かな音色で表現し、太夫と一緒に物語の世界をつくります。この浄瑠璃という音楽に、今から約400年前に人形芝居が合わさって成立したのが人形浄瑠璃です。
人形は世界でも珍しい三人遣いで操られることから、目を閉じたり、口が開いたり、表情を変えることもでき、指先まで動かすことができます。世界中の人形の中でも、最も繊細で丁寧な表現を得意とします。
日本の三大古典芸能に数えられる人形浄瑠璃が、全国で最も盛んに行われている徳島。その背景には、吉野川流域の藍、鳴門の塩、県南の木材など、江戸時代から徳島の経済を潤してきた豊かな産物や、温暖な気候、豊富な水などの恵まれた風土を活かしてきた徳島の先人達の智恵とたゆまぬ努力があります。この総合力こそが、全国に誇るべき徳島の最大の魅力だと考えています。
◇徳島県立阿波十郎兵衛屋敷
所在地:徳島市川内町宮島本浦184
開館時間:午前9時30分から午後5時(7月1日から8月31日は午後6時まで)
注記:最終入館は閉館30分前まで。
休館日:12月31日から1月3日
駐車場:あり
入館料:大人410円、高校生・大学生310円、中学生以下200円
問い合わせ先:【電話】088-665-2202【FAX】088-665-3683
◆徳島市立徳島城博物館 根津 寿夫(ねづ ひさお)館長からメッセージ
◇徳島藩主蜂須賀家と阿波人形浄瑠璃
淡路発祥とされる人形浄瑠璃が、阿波にもたらされ盛んに興行(こうぎょう)されるようになったのは大名蜂須賀家の影響がありました。
尾張国(おわりのくに)(愛知県西部)出身の蜂須賀家は、織田信長・豊臣秀吉に仕え大名となりました。天正13(1585)年、藩祖(はんそ)蜂須賀家政(はちすかいえまさ)は、豊臣秀吉から阿波国の内で17万5,700石を与えられ大名となり、阿波蜂須賀家の時代が幕開けしました。
元和元(1615)年には、大坂の陣の手柄により淡路国7万石を加増され、蜂須賀家は阿波・淡路25万7千石の四国最大の大名となりました。実は、阿波人形浄瑠璃の歴史を語る上で重要となるのが、この淡路国加増であり、「阿波の人形浄瑠璃」と阿波・淡路を一緒にして呼ぶようになったのは、両国が大名蜂須賀家の領地だったからでした。
江戸時代、淡路には人形遣いを生業(なりわい)とする人々が多くいました。約50座ともされる人形座は日本国中を興行して回りましたが、出発時に蜂須賀家の殿様のお膝元である城下町徳島で必ず公演を行いました。徳島城内に呼ばれ人形浄瑠璃を披露することもあり、浄瑠璃が阿波の人々の間で親しまれるようになりました。
江戸時代後期には、寺町や佐古、富田、二軒屋町あたりでは、普段は見ることのできない寺院の本尊(ほんぞん)を公開するなどの催しが盛んでしたが、相撲と人形浄瑠璃は定番でした。人形浄瑠璃は庶民の数少ない娯楽として親しまれ、町や村の人々を魅了していたのです。
◇徳島市立徳島城博物館
所在地:徳島市徳島町城内1-8(徳島中央公園内)
開館時間:午前9時30分から午後5時
注記:最終入館は午後4時30分まで。
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日(土曜日・日曜日・祝日の場合は開館)、12月28日から1月2日・1月4日
入館料:大人300円、高校生・大学生200円、中学生以下無料
問い合わせ先:【電話】088-656-2525【FAX】088-656-2466
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