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かみじま郷土話18

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愛媛県上島町

■岩城の海城
先日、弓削高校の生徒さんや先生とご一緒に、岩城八幡神社を訪れました。「岩城島における村上海賊の活躍」をイメージできるポスターを作りたいとの事で、神社がある亀山城跡の見学が主な目的でした。
亀山城の城主は、因島村上氏である村上修理亮敬吉(むらかみしゅりのすけたかよし)などが挙げられており、築城は明徳3年(1392)とされています。村上敬吉は、因島と生名島の間にある亀島(竹島城)などを傘下に収める海賊でした。築城の際に、亀山にあった八幡宮は移転されたようですが、敬吉の子である義元(よしもと)により村上氏の氏神として亀山城内の現在の位置に移されたようです。
ドイツ人医師・博物学者のケンペルが、元禄4年(1691)に岩城島沖を通過した際の記録に、「樹木を負ひたる高き岩礁の上に寺社ありて、階段にて上るべし。岸辺に立てる相重なれる二個の門はその入口なることを知るべし。」とあり、その寺社とは、岩城八幡神社の事ではないかと考えられています。また、亀山城跡の海岸部には9基の岩礁ピットが存在しています。ピットとは、柱を建てるための穴のことであり、岩礁をくりぬいて造られています。そのうち2基のピットには、鳥居が建っていたものとみられ、ケンペルの記録にある門であると考えられています。亀山の丘陵自体はそれほど高くはありませんが、海側・陸側から城内へと続く通路が長く作られており、侵入者に対して横矢を射かけやすい造りになっているなど、工夫が凝らされています。

担当:教育課 曽根大地

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