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かみじま郷土話 23

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愛媛県上島町

■三秀園を造った麻生イトさん
昨年11月に、因島観光協会主催(上島町共催)により「麻生イトと因島・生名島」が開催され、3名が座談会に登壇し、私もそのうちのひとりとして、お話させていただくことができました。事前に生名島の方からイトさんと交流があった方を紹介してもらうことができたので、聞き取り調査を実施し、それを基に座談会でお話することができました。
イトさんは、明治9年(1876年)に尾道市で生まれました。北海道にわたり、トンネル工事の事務員として働いたあと、明治36年(1903年)に因島で旅館を経営しました。因島で造船業が盛んになると「麻生組」を結成し、多くの従業員を雇って、土木事業や船の解体業務を請け負いました。この頃からイトさんは、男装の女傑として名を馳せるようになったといわれています。豊かな財力の持ち主となったイトさんは、因島の土生幼稚園の新設や、土生町女子実業補習学校(広島県立因島高等学校の前身)の設立に対して資金援助を行うなど、熱心に社会貢献を行いました。また、大正14年(1925年)には、生名島で村の有志とともに、地域の憩いの場となる「三秀園」の造園を開始しました。イトさんは三秀園の中に別荘を建て、昭和31年(1956年)に亡くなるまでの晩年を生名島で過ごしました。自身の故郷である尾道ではなく生名島に庭園を整備することについては「~よその国の為にすることもと思ったが、イヤイヤ伊予も広島もない、やっぱり天子様の日本の島じゃ思うての…」と語っていたようです。
三秀園に近いお家で生まれ育った方のお話によると、晩年のイトさんが別荘の縁側でくつろいでいる姿を何度も見かけ、「おじいちゃん」と呼ぶと大変喜んでお菓子をくれたようです。また毎月18日には、三秀園で「観音さま祭り」が開催され、多くのお店が出るなど盛大に行われ、生名島の子どもたちをはじめとした地域の人々にとって、楽しみのひとつとなっていたようです。

担当:教育課 曽根大地

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