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【久万高原町の新しい風 柔軟なアイデアで地域おこし】協力隊通信 vol.80

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愛媛県久万高原町

皆さんこんにちは。面河地区で地域活性化をミッションとして活動している桑名です。
現在は、面河地区地域運営協議会「だんだんおもご」の支援業務、面河渓自然環境保全活用交流拠点施設「清流面河」(10月18日オープン)の事務運営サポート、SNSの更新などを日々行っています。
また、日常業務の合間に面河地区の「歴史調査」にも取り組んでいます。これまでに発行された書物を読んでみたり、分からない部分があれば地域の方に聞いてみたり。それを繰り返しながら年表形式でデータにまとめる作業をひたすら行っています。一つ一つの資料ではとびとびの情報も、いくつかの資料をまとめることで、分野ごと、年代ごとのつながりが生まれてくるのですが、それを見つけた時の感動がたまらないのです!
例えば資料Aには、大成地区に江戸時代から存在した塾が、明治5年に小学校となった記録があります。ところが、その名称は不確かなうえ、閉鎖時期も不明、さらに村内の他の小学校が始まった時期よりも少し早いぞ…ということが資料Bの小学校一覧や、各小学校の変遷と比較することで分かります。ただ、この資料Bには杣野地区にあったものの、詳細な場所が分からない小学校の記載があります。
これらから推測すると、かつて塾だった大成の小学校は、正確には明治8年に小学校となったのではないか?という可能性にたどり着きます。また、渋草小学校に関する記録をまとめた資料Cを見てみると、こちらには、後に渋草小学校の分校となった大成の小学校が大正13年に閉校した情報が記載されています。
もうお気づきかと思いますが、不明瞭な部分はあるものの、3つの資料を見比べることで、大成地区の小学校の誕生から閉鎖までが一本につながったのです。これを続けながら、面河地区の歴史をどんどんつなげ、記録として残していけたらと考えています。
そんな面河の歴史を地域の皆さんとも共有したいと思い、第41回「面河ふるさとまつり」の会場で「昭和の面河・大年表」と題して展示しました。始まる前は、間違った情報を出していないか、地域に帰ってきたばかりの私が偉そうに展示してもいいのか、などと不安だったのですが、始まってみると「この時はまだこんなものもあったのか」と懐かしんでくださったり、「ここを最初に通ったのは僕だ」と誇らしげに話してくださったり、平成生まれの若い方からも、「慣れ親しんでいたものはこんなに前からあったんだ」と驚いてくださったり、本当にたくさんのお声をいただきました。また、「平成以降や大正以前の年表も見てみたい」といったリクエストも励みになりました。
今後の目標として、もっと皆さんに楽しんでいただける情報を発信したいと思いますので、地域のさまざまな情報がありましたら、ぜひ、桑名までご連絡ください!

問い合わせ先:ふるさと創生課 移住促進班
【電話】21-1111(内線325)

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