「自らの内にあるものと向き合う」
江戸前期、越後国(新潟県)生まれの禅僧・良寛(りょうかん)さん。呼び名を大愚(だいぐ)(愚か者)といいました。その良寛さんが「比丘(びく)はただ万事はいらず常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の行(ぎょう)ぞ殊勝なりける」と詠んでいます。
比丘とは「僧侶」のこと、常不軽は「常に他人を軽んじない」の意、菩薩は「修行に努め未来に仏となる者」のことです。この歌を意訳すると「僧侶にはすべての知識や修行はいらない。ただ普段から横柄な態度で他人を軽視したり、見下げてばかにしたり、差別したりしないこと。どんな人も敬って礼儀を尽くす菩薩の行いこそすばらしい。なぜなら皆さんは誰もが仏となる心を持っているから」となるでしょうか。
また中国の孟子(もうし)は「人を愛する者は、人恒(つね)にこれを愛す。人を敬する者は人恒にこれを敬す」と述べています。これを分かりやすく「愛する者は愛される。敬う者は敬われる」として受け止めています。
この考え方を良寛さんの「常不軽」の語に当てはめると「人を軽んじる者は、軽んじられる」となり、人を見下し、ばかにして差別する者は、それがそのまま自らに返ってくることになります。良寛さんは自らを大愚と呼び、他人を愚か者にする自らの差別心を戒めるのです。それは「他人を見下し差別する人間にだけはなるまい」と自らに向き合い、闘っている姿のように思われます。
問合せ:内子町教育委員会 自治・学習課 生涯学習係(内子分庁内)
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