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〔特集〕Special Feature 農家の若造が拓く遊休農地の未来(4)

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愛媛県内子町

■耕して、守る。いつかまた、「誰か」につながると信じて――
まちの未来を思ったとき、何もしないという選択肢はなかった
農業の担い手として、地域の担い手として、かけがえのないふるさとを守りたい――

内子町青年農業者協議会前会長
三浦裕太郎(ゆうたろう)さん(38)[石畳9]

○地域を、農業を守りたい
小さい頃から、石畳地区で葉タバコ農家をしていた祖父母の農作業を手伝うのが好きで、いつか自分も農家になりたいと思うようになりました。就農したのは27歳の時。農業ができなくなった祖父母に代わり、受け継ぐことを決心。二人が一生懸命守ってきた農地だから、途切れさせたくないと思いました。受け継いだ農地ではキュウリやキャベツ、カボチャなどを育てています。
農業者の多くは、私の祖父母のように年配の人たちです。10年後、20年後、今農業をする60~80代の人たちが引退すると、さらにまちの遊休農地が増え、急激に地域が廃れてしまうんじゃないかと心配しています。先輩たちが元気なうちに農地を引き継ぐ仕組みをつくらなければ、地域の食や景観を守り続けるのは難しいかもしれません。今が踏ん張り時だと思っています。
プロジェクトで再生できる農地は年に1カ所ほどで、私たちの活動は小さなことかもしれません。でも遊休農地をきれいにした後に、「景色が明るくなって、地域が活気づいた」「使ってくれてありがとう」と言われることもあり、やって良かったと励みになっています。

○可能性を信じて、種をまく
内子町には農業をしたいと町外から移住する人たちも多いです。地域になじめるよう、今後も続けられるよう、農家の若造でもサポートしていきたいです。再生した遊休農地でできた作物の商品開発や、地元事業者とのコラボなど、メンバーから出たアイデアもいつか実現できたらいいですね。私たちの活動や農業の楽しさを、より多くの人に知ってもらう場を増やすことで、農業をする仲間や、プロジェクトに参加してくれる人も増えるとうれしいです。
今は継ぐ人がいなくても、私たちが耕し、守っていたら、いつかバトンを渡すことができるかもしれない。まだ見ぬ誰かにつながることを信じて、農業の可能性を信じて、これからも仲間と一緒にふるさとをつなぐ種をまいていきたいです。

小さなことかもしれないけれど、解決の糸口にきっとなる――

■農地を耕せなくても、応援することはできる
農家の若造の皆さんの取り組みを見ていると、ふるさとの農村風景はここで農業をしている人たちがいるからこそ、続いているのだと気付かされます。三浦さんが話すようにこの活動は、増え続ける遊休農地に比べれば、小さなことかもしれません。でもメンバーが再生した農地は、大木さんにとっては夢の舞台であり、福山さんにとっては喜びであり、地域の人たちには活力になっていて、人々の心には大きな力になっていることが分かりました。また内子町には農業を始めようとする人たちの背中を押してくれる人たちがたくさんいることも知りました。応援してくれる人たちも、ふるさとを守る仲間の一員だと思います。直接畑を耕せなくても、応援することはできます。これからの地域や農業に目を向けてくれる人が増えれば、未来はいい方向に向かっていくのではないでしょうか。

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