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INTERVIEW 作家・演出家・映画監督鴻上尚史(KOKAMI SHOJI)(1)

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愛媛県四国中央市

四国中央市にもいろいろと『ご縁』がありまして…

其の1:縁 四国中央市 富郷町寒川山・猿田地区
其の2:縁 川之江高校演劇部

■著書・テレビ・雑誌など たびたび登場する本市との縁
作家・演出家、映画監督など多数のジャンルで活躍する鴻上尚史氏の著書や出演番組では、たびたび四国中央市と思われる表現や情景が登場します。
「鴻上さんは、隣の新居浜市出身のはず…」と思いながら、著書や聞き込みを中心に調べてみると、何と本市と驚きの縁があることを発見!
日本の演劇界をリードし続ける鴻上尚史氏から、公演や稽古の合間の貴重な時間を頂き、その驚きの縁を聞くことができましたので、ご紹介します。

◆鴻上尚史 
1958年8月2日生まれ
新居浜市 出身
早稲田大学法学部出身。大学在学中の1981年に劇団「第三舞台」を旗揚げ。以降、作・演出を手掛ける。「朝日のような夕日をつれて’87」(87)で紀伊國屋演劇賞、「天使は瞳を閉じて」(92)でゴールデンアロー賞、「スナフキンの手紙」(94)で岸田國士戯曲賞を受賞。戯曲集「グローブ・ジャングル」(2010)で読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。
舞台公演の他にも、映画監督、小説家、エッセイスト、ラジオ・パーソナリティー、脚本家、などとしても幅広く活動。
桐朋学園芸術短期大学教授。

■Interview
僕が5歳のとき、両親の仕事の都合で富郷町の猿田地区に住むことに…。
36歳のとき、愛媛県で初開催の全国高等学校総合文化祭・演劇部門の審査員に。県代表校は…。

▽2023年3月発行
愛媛県新居浜市上原一丁目三番地
鴻上尚史 著(講談社)
愛媛県新居浜市出身の作家・鴻上尚史、初の自伝小説集!
今回掲載されているエピソードも掲載されており、作家・鴻上尚史の原点を見ることができる傑作小説。

■第1幕 エピソード(1) 出会い(5歳)
▽両親の仕事で富郷町寒川山・猿田地区へ
「僕の両親は教師をしていてね、5歳のときに夫婦揃って山奥の猿田小学校(四国中央市富郷町寒川山)に勤務することになったんだよ。小学校の隣に教員宿舎があって、僕は、そこで両親と一緒に住んでいたんだよね」
鴻上さんは、かつての富郷地区を記録した写真集を机に広げ、記憶の糸をたぐり寄せながら、幼少期のことを振り返ってくれた。
(写真集の小さな池を指差して…)「いやあ、本当に懐かしいな。僕は5歳だったから、小学校に通う年齢ではなかったけど、宿舎に一人でいるのが退屈だったから、両親が授業をしている教室に行ったんだよ。そしたら教室中が大騒ぎになってね。それからは学校に行くことを禁止されたんだけど、ヒマだったから、学校の目の前にあった水の澄んだ小さな池に行って、魚を捕まえようとしたら、池に落ちて、溺れちゃってね。近所の人に助けてもらったんだ」
一命を取り留める出来事もあって、5歳の鴻上少年は、ご両親の相談のもと、親元を離れ、祖父母のいる新居浜市で暮らすことになった。
「僕が猿田地区に住んだ期間は、1か月間だけだったけど、親が猿田小学校に勤務していた5年間は、親に会うために毎年夏休みに猿田地区を訪れたんだよ。
集落の子どもの人数も娯楽も少ない時代だったから、上級生から下級生まで近所の子どもたちが一緒になって、小学校のグラウンドで鬼ごっこや陣取りをして、一日中遊んだなあ。
そういえば、小学校を下った所に小さな商店が1軒あって、そこに住んでいた岩崎くんっていう少し年上の子と一緒によく遊んだことを覚えているよ」と、今回出版された本にも掲載されていない仰天エピソードを昨日の出来事のように鮮明に説明してくれた。
「母は、大保木(おおふき)村(今の西条市)という山奥の集落の出身で、庭にたくさんの花が咲いていてね。猿田地区もたくさんの花が咲いていたから、小さな僕は、親近感を持っていたかも知れないなあ」と、猿田地区に抱いていた親しみの理由を話してくれた。

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