柳瀬焼窯跡(やなせやきかまあと)
大洲市指定史跡
個人所有
柳瀬焼は、大洲藩3代藩主の加藤泰恒(やすつね)が焼かせた焼物です。窯は冨士山対岸の梁瀬山(やなせやま)の麓にあり、上方(かみがた)(関西地方)から迎えた才兵衛(さいべえ)という陶工に藩御用の陶器を作らせたと伝わります。
元禄年間(1688-1704)頃の開窯(かいよう)で、操業期間は最長でも50年ほどの短いものでしたが、その間に焼かれた藩用の茶器類には優品が多く、蓮根(れんこん)形の花器や、椎茸(しいたけ)形の菓子鉢など、凝った意匠のものが今に残されています。なかでも「竹図(ちくず)透(すかし)入り器」は、柳瀬焼の代表作として市の有形文化財(工芸品)に指定されています。
柳瀬焼は、県内の陶器生産の中でもいち早く開始されたものであり、その窯跡は県内最古の近世窯跡として貴重です。
(昭和31年9月30日指定)
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