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追悼 松本零士さんを偲ぶ

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愛媛県大洲市

令和5年2月13日(月)、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」などの作品で知られる漫画家松本零士さんが逝去されました。
松本さんは幼少期の一時期を新谷地区で過ごし、その縁もあって大洲市きらめき大使を務められたほか、新谷小学校改築時の壁画作成など大洲市のまちづくりにご尽力いただきました。

■新谷地区と松本零士さんとの関わり
松本さんは生まれは福岡県ですが、戦時中の昭和19年から3年の間、6歳から8歳までの時期を新谷地区に疎開して過ごしました。
この幼少期の体験がその後の作品にも大きな影響を与えたと松本さん本人も語っていて、それが最も色濃く表れたのが名作「銀河鉄道999」です。満点の星空のもとで神南山のふもとを走る蒸気機関車がイメージの原型となっているそうで、新谷で見上げた夜空が松本さんを宇宙SFの世界へ誘(いざな)いました。

≪松本零士さん略歴≫
昭和13年福岡県久留米市に生まれる。
昭和19年から新谷地区へ疎開。新谷国民学校(現在の新谷小学校)へ通い、大洲で終戦を迎える。
昭和29年、高校1年生の時に「蜜蜂の冒険」で漫画家デビュー。昭和49年に放送されたテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の制作に関わり大ヒット。その後も「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」などヒット作を連発する。
大洲市では昭和58年、平成6年に講演会を開催し、平成26年には「大洲市きらめき大使」を委嘱した。
令和5年2月13日、都内にて永眠。享年85歳。

■大洲市と松本零士さんの交流
新谷地区を「心のふるさと」と呼んだ松本さんは、大洲市からの講演依頼などには快く応じ、何度も足を運んでもらいました。
そして、平成24年に改築された新谷小学校に松本さんが壁画をデザインしたことから、新谷地区との関係はさらに深まることとなります。平成25年には地元有志による「新谷一万石まちおこしの会」が発足。以降、平成30年までの6年間、松本さんをゲストに毎年イベントを開催しました。

■零士ワールドが広がるまち新谷
◇「新谷一万まちおこしの会」会長 大塚弘一(こういち)さん
零士先生は忙しい上に夜型の人で、連絡を取るときはいつも夜中だったのを思い出します。
その多忙な中を新谷に来てもらうのに山口県下関市まで車で迎えにいったこともありました。そんな時も嫌な顔をせず穏やかに接してくれた零士先生。イベントの終わりには「また帰ってきます」といつも言ってくれた零士先生。我々の心の支えで憧れの人でした。
先生、本当におつかれさまでした。ありがとうございました。

◇「新谷一万まちおこしの会」副会長 亀岡佳章(よしあき)さん
零士先生が新谷に来た際、最初の言葉が「帰ってきました」でした。この言葉に私たちは一瞬で心を奪われたのを覚えています。
それ以来、先生が帰られるたびに「お帰りなさい」がいつもの挨拶となりました。
がんばる人応援事業を活用してイベントを毎年開催しましたが、市外、県外からも多くの人が訪れ、その度に先生の偉大さを感じ、またイベント時以外でもファンの人が新谷を訪れてくれます。
先生、もう一度会いたかった。安らかにお眠りください。

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