毎年、夏の夜の肱川を舞台に繰り広げられている「大洲のうかい」は、今年で67年目を迎えました。
日本三大鵜飼にも数えられ、大洲の夏の風物詩として多くの観光客を楽しませています。今回は「大洲のうかい」の歴史と今について紹介します。
■うかいの始まり
1956年(昭和31年)当時の沼田恒夫(つねお)大洲市長や桧垣吉太郎(きちたろう)大洲商工会議所会頭らの提唱により、岐阜県岐阜市の長良川や広島県三次市の馬洗川などを視察・研究の後、鵜飼いを観光の柱にしようと取り組んだのがきっかけでした。鵜飼いに使われる鵜は、高知県仁淀川の漁師から譲り受け、1957年(昭和32年)から「大洲のうかい」がスタートしました。当初は川舟十数隻で始めたものの、昭和50年代以降の隆盛期には60隻を超える屋形船が行き交い、年間2万8千人以上の観光客を迎えた記録が残っています。
■「大洲のうかい」の魅力
何といっても「大洲のうかい」の魅力は、「合わせうかい」という全国でもあまり見られない手法で行われることです。
鵜飼い漁を行う鵜舟のすぐ横を屋形船が並走することで、水しぶきがかかるほど間近で鵜がアユを獲(と)る様子を見ることができ、鵜匠の見事な手縄さばきによるダイナミックな鵜飼いショーは「大洲のうかい」の最大の魅力です。また夕闇に浮かぶ臥龍山荘や大洲城を眺めながら郷土料理を楽しむこともできます。
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ご乗船をお待ちしています。
(※二次元コード本紙掲載)
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