■物語(6)
旧広瀬邸と庭園
旧広瀬邸と庭園は、別子銅山の近代化によりわが国の近代産業を育成し、住友グループの基礎をつくった広瀬宰平の旧邸と庭園です。旧広瀬邸がある上原では、江戸時代末期に住友家による新田開発がはじまり、ため池として亀池が築造されました。その後、広瀬宰平が住友家より土地を譲り受け、製茶事業を開始しました。旧広瀬邸の母屋は、明治10(1877)年、久保田で竣工し、同20年、現在地に移築されました。同22年には、新座敷と内庭が竣工し、別子開坑200年祭では迎賓館として利用されました。その後、大正・昭和初期にかけて南庭や亀池周辺の整備が行われ、現在の姿となりました。平成9(1997)年には、展示館が建設され、広瀬歴史記念館としてオープンしました。
旧広瀬邸は、平成15(2003)年5月、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として国の重要文化財に指定され、亀池を含む庭園は、平成30年2月、「迎賓・祝祭・顕彰の場を兼ね備えた近代日本における地方の庭園文化発展を示す重要な事例」として国の名勝に指定されました。
問合わせ:別子銅山文化遺産課
【電話】65-1236
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