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伝説の石工・菅能宇吉 ときを積む(1)

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愛媛県東温市

■全国数々の石垣を積み上げた「大石つかい」の伝説
昭和中期、戦争によって城の石垣が次々と壊れ、上林の一人の石工に声が掛かった。壊れた石垣の石を一つひとつ積み上げ、完璧に修復したことは今も伝説となって上林の人々に言い伝えられている。
菅能宇吉(うきち)さんは上林地区に生まれ、生涯で松山城、高知城、大洲城などの石垣を修復してきた。中でも、80歳のとき、太平洋戦争の空襲で大阪城京橋口の乾櫓(いぬいやぐら)の石垣が破壊され、大きな被害を受けたときには、堀底に落ちた石と新しい石を合わせ約250個の石を組み合わせ、石垣を復活させた。
石垣積みの腕は反りに表れる。コーナーに入れる隅石の配置は高くなるにつれ難しくなる。大阪城は高いところで30mほどあるが、繊細な技術を駆使して美しい反りを実現させた。
宇吉さんの息子朋近(ともちか)さんも共に石工として生涯にわたって石垣を積み上げた。大きい石は750kg以上にもなり、一度据えたら積み直しづらく、扱いにくい。しかし、宇吉さんは熟練の技とさまざまな道具を使いこなしながら石を積み上げ、いつしか全国から「拝志の大石つかい」と呼ばれるようになった。

◆菅能宇吉さんや朋近さんと由縁がある 森光夫(もりみつお)さん
石積みが一番よく見えるのがお城です。いかに丈夫な石垣を組むかが大変重要でした。
インターネットがない時代に宇吉さんが「大石つかい」として全国に技術が広まることが不思議ですが、石工としての技術がそれほど高かったのではないかと思います。
偉業を成し遂げた宇吉さんは私たちにとって誇りです。

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