河後森城は、もともと地元の人々から「城(じょう)の山」などと呼ばれ、城の跡であったことが推測されていましたが、今から40年前の昭和59年から行われた愛媛県中世城館跡分布調査によって、県下でも最大級の規模をもつ中世山城であったことが明らかとなりました。
この成果を受けて、松野町では、河後森城がいつ頃、どのように使われていたのかを調べるため、昭和63年に初めての発掘調査に着手し、平成9年の史跡指定以降も整備に伴った調査を重ね、現在はその総括的な整理を行っています。
発掘調査は、城で使われていた当時の施設や道具類を土の中から探っていく作業であり、城に集った人々の戦いやくらしの様子を直に伝えてくれます。もちろん、文字で書かれた資料のように具体的な年号や人の言動にまで迫ることはできませんが、実際に残されていた建造物の構造や出土品に認められる技術等の特徴を分析していくことによって、戦国の世を生き抜いた人々の知恵や工夫に触れることができるのです。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>